時間をおみっちゃんに
今日は夜にお友達とご飯を食べに行く素敵な予定があるので、夕方のうちに日記を書いておこうと思います。
今日は僕はお休みでした。
お休みっていうのは長く時間が取られるものでして、誰もがそんな時間が続けばいいのになーなんて思うものかと思います。
しかしこれがまた過ごしてみるとあっという間で怖い。
休みなんてなかったんじゃないかとすら思う。
いやあったんだ。
それは間違いない。
休み、もとい時間というのはただあるだけであり、それをいかように使うかというのは各々の判断によるところでしょう。
そこにどれだけの思い出が詰まっているか、どれだけの思いを込められているかによって、その時間の流れというのは大きく感じ方が違ってくるのだと思います。
つまり今日僕は思いの詰まってない怠惰な一日を過ごした、ということをここで白状しますが、それはさておき、昔一日に映画を2本観たことがありました。
もっとたくさんの映画を平気で何本もいる人もきっとおられることでしょうが、僕は1日2本なんてまずもって観ない。
でもなんだかその日は2本観てみたんですね。
そのときどんなふうに感じたかというと、1本目に観た映画がずいぶん前の思い出のような気がしたのです。
それがつまりどんな風な作用が脳で起こっているのかとかそういう科学的な話は今できないんですが、恐らく2本目の映画が僕をその世界にいざなってくれたからなのではないか、と今急いで推察しています。
というのも、映画に限らず物語というのは、その物語上で長い年月を過ごしたりします。
それが映画だったら2時間程度で観れるわけであり、その物語上の長い年月を2時間程度で疑似体験できるとも言える。
そんなような感覚を得られるかどうかは人それぞれだとは思いますが、僕は恐らくそんなようなことで1本目が遠くに感じられたのではないのかなーなんて思っています。
さて、時間がそろそろあれなんで急ぎます。
怠惰であろうが、お密さんであろうが、過ごす時間の長さに違いはないでしょう。
でも脳が感じるその「時間的体験」というのは実際に異なるのだと思います。
だから、充実した休みを過ごしたなーという確かな満足を得たいのならば、そのあたりを念頭に少し工夫を凝らしてみるだけで簡単に実現できるかもしれない。
多分1日中本読んでるだけで、物凄い密な時間過ごせるのだと思います。
次の機会があったらやってみようと思います。
では行ってきます。
おしまい