『平家物語』というアニメを観終わって
今日『平家物語』というアニメを観終わりました。
アッと驚くような展開はなく、ただただ物静かに、ただただ物悲しく物語が進んでいくような印象を持って僕は心静かに彼等を見守っていましたが、最後の最後に心が打ち震えるような演出を見ました。
その演出力の高さたるや素晴らしく、全てはその演出のための伏線と言えばいいでしょうか、準備・助走みたいなもののように感じました。
全てはこの時の為にある、というような。
昨今の人(特に若い人かしら)というのは、長い時間を掛けて何かをすることに強い抵抗感がある、というような話をたまに見聞きします。
例えば映画を1.5倍速で観る、とか。
動画は10分以上のものは見ない(見てられない)、とか。
お気持ちはわからなくもない。
わからなくもないけれど、それだけで全てを楽しむことはできないだろうなーとも思う。
というのも、映画は単なる情報ではなく、与えられた時間を掛けてじっくり観るからこそ伝わるものがあるのだし、そこで流れる音楽が1.5倍速じゃあもうそれはその音楽が本来持つ魅力を持っていない。
大好きなミュージシャンの音楽を1.5倍速で聴くだろうか、聴かないだろうが。
俳優さんの魅力ある演技はちょこまかした映像では輝かない。
一生懸命丹精込めて作った自分の料理が、ものの数秒で味わうことなく喉に流し込まれてしまったら誰だってガッカリするでしょう。
なんでも味わう時間って必要だと思うのです。
現代において『平家物語』は恐らく退屈に感じる人が多いのではないだろうか、という気がします。
『鬼滅の刃』のような定期的にぶっ込まれるわかりやすい感動ポイントはなく、『進撃の巨人』のようなすぐさま先が見たくなるような引きもない。
つまるところ流行らない、のかもしれない(実際どうかはわからないけれど)。
でもだけれどもだからこそ、何百年も語り継がれてきたこの日本の物語には、現代に流行るような物語にはない魅力があるのではなかろうか、という風に思います。
どちらが優れているか、という話ではなく、違う魅力が互いにあるのではないか、と。
語り継がれてきたのには意味がある。
そんな物語が現代の映像美で改めて語り継がれる。
素晴らしいことだと思います。
恐らくもう一回観たら僕は泣く。
おしまい