やる気が起きないなら尻を蹴飛ばしてやればいい

人によって文章の書き方というのは違うと思いますが、僕の場合、気分に左右されることがほとんどです。

というのも、気分が乗ってまいりましたときは思うままに筆が走るものでしたが、気分が乗らないときは正直書いててつまらないし、読み返してもつまらない文章だなーとつくづく嫌な気持ちになります。

 

だから気分を乗せたい、そんな風にいつも思います。

 

良くないなーと思うのは、いつもパソコンの前に座って文章の内容を考えることにあります。

つまり「書こう」と思って書こうとしてる。

そうすると僕の頭の中はどんな風になるのかというと、ブログのことでいっぱいになってしまいます。

そうすると今度はどうなるかというと、ブログに関する話題しか思い浮かばなくなるのです。

そうやってひねり出されたネタが、今のこれです。

今日も「何を書こうか」と考えた結果、ブログのことをネタにしたブログを書くに至ってしまったのでした。

 

これはこれでありと言えるでしょうか。

まあ好きに書いたらよろしいのでしょうけれども、そう何べんもブログネタで引っ張れるとも思えない。

 

そもそも引っ張るという発想がよろしくない。

もっと自発的に、意識的に、書きたい気持ちで満ちみちて、気持ち良く書きたい。

 

だから考えたのです。

今日はそうしなかったけれど、考えたのです。

ブログを書く時間は「夜」という風に今決まってるんですけれども、その書く時間になったらまず書く気持ちになる努力をしよう、と。

 

努力っていうとまたお堅いイメージですけれど、先にも書いた通り、ブログを書こうと思って書こうとするとブログのことに支配されてしまいますから、もうちょっと楽にしたい。

例えば本棚のある部屋がうちにはありますから、そこで少し呆けてみる。

本を眺めてもよろし、読んでみてもよろし、雑誌を開いてもよろし。

ノートを読み返してもよろし、書いてもよろし、好きにしたらよろし。

そうしてリラックスしたくらいになったときに、なんとなく沸々っとした気持ちが芽生えるのではなかろうか、という風に思うのです。

 

昔いつだか公園に行ったとき、気持ちが落ち着いて、妙に文章が書きたくなったことがあったのですが、要するにそれを人工的に起こそうという魂胆です。

書きたい気持ちを演出する。

 

演出だなんて言うと、今度は「なにゆえそこまでしてそなたはブログを書こうと思うのだ」という疑問が浮かんでくると思います。

それがしとしても自分で考えてみたのですが、なんか「書いてみたい」と思うんですよね。

 

「書きたいか」っていうと確かに自分でもよくわからない。

でもただなんとなく、書いてみたいのです。

この気持ちに嘘はない。

 

きっと「書いてみたい」は意識的で、「気分が乗らない」というのが本能的なのでしょう。

その本能の尻を蹴飛ばしてやろう、と。

 

いや、そんなランボー的に乱暴的ではいけない。

そうではなく、手を差し伸べて腰を持ち上げさせたらいい。

 

おいでなさい、そして、ともに来なさい。

そういうようなお気持ちです。

 

そして二人の気持ちがかち合ったとき、最高に良い気持ちで文章が書けるのだろうと推察されます。

それを自分で演出ができるのならば、ぜひそうしてみよう。

 

きっとネタがあるかどうかじゃない。

気持ちの問題なんだ。

 

ともすると、他のことも同様のケースがあるでしょうか。

きっとあるのでしょうね。

 

いかに自分を騙せるか。

否、奮い立たせられるか。

それを極めたら人生はいくばくか好転するかもわかりませんね。

 

さて、気分が乗って止まらないので、今日はこの辺で。

 

ではでは。

 

おしまい