興味に点火を、ファイアー!(ボボボボボボボ)
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すっかりブログを書かなくなりまして、いくばくかの月日が流れましたが、僕のことを覚えておいででしょうか。
僕の当時の計画としては、毎日ブログを書く時間を設けるとやりたいことをする時間がなくなるから少し削ろう、そしてブログを書きたい気持ちがふつふつと沸いてきたら書こう、なんてのんきに思っていました。
ところが、そんなお湯は沸かなかったのが正直なところです。
人によって蓄えられた興味のお水は違いましょう。
その量も、あるいはその質も。
まるで日光によって沸き上がるように、生きているだけで自ずと興味が湧く人もおられましょう。
そしてそういうものがあれば、それに従って生きていれば良いもののように思われます。
しかしながら、そういうものがない人もいると思います。
僕なんかはその通りで、自分でコンロに火を掛けなければその水はなかなかどうして沸かない。
「ブログを書く」というその意識はまさにコンロであり、僕にはそれが必要だった。
振り返ってみると、小学生の時に「日記」という宿題を課せられたことがありました。
はじめこそはいやいや書いていたけれど、書けば書くほど面白くなってきて、いつの間にか日記を書くことが大好きになった、という経験があります。
しかしその日記という「宿題」がなくなると、あんなに楽しく書いていたのに僕は日記をちょっとも書かなくなってしまったのです。
好きなはずなのだから、宿題としては終わっても自ずと日記を書くと思われたはずが、そうはならなかった。
所詮、僕にとっての興味はその程度、と言えそうです。
わりとなんでもそうで。
ただ、その分キャパに余裕があるので、幅は広いという特性を持っています。
あっちらこっちらどっちらしてしまうのがたまに傷とも言えるけれど、長所は短所と言いましょうか、いや、短所は長所とも言えるわけで、要するにどっちでもいいんですか?(聞いた
何が言いたいかと言いますと、ブログを書きたい気持ちは根底にあるのだから、その鍋に火を点けることにしたい。
その為にはやはり「毎日書く」という条件付けは僕には必要のように思われました。
この塩梅は実に難しく思われます。
その条件が枷になりはしないか。
あるいはなるが、しかしそれだからこそ成長できるというものだろう、とも自分で言っていたような気がします。
それもまたその通りで、頑張ってみる価値はある。
ならばもう一回頑張ってみようと思い、筆を執ったのでした。
ところで、言い切り口調が一転、ですます調になってることにお気付きの方もおられると思いますが、気分です。
一旦戻してみて、それでしっくり来るならあとまたずっと丁寧にお話ししていきます。
今後とも何卒、宜しくお願い致しますおさん(テキトー)。
おしまい