おにぎりに母の愛情を見る
自分でおにぎりをにぎるようになって、食べるたびに思うことがある。
母の味である。
母のにぎったおにぎりを思い出す。
幼稚園のときにお弁当に持たされたあのおにぎり。
家族皆でハイキングに出掛け、山のふもとで食べたあのおにぎり。
自分で何かを作ったとき、妻のことも思う。
美味しくできただろうか、妻はどう感じただろうか。
少ししょっぱくはなかっただろうか、後で聞いてみよう。
そしてまた母を思う。
母も僕のためにおにぎりをにぎってるとき、僕を思っていてくれたのであろうか。
そんなことを思うと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
おにぎりに限らない全てのことが僕への思いで溢れているとしたら、子にとってこんなに幸せなことはない。
しかしそれを深く噛み締めることはほとんどない。
僕は今おにぎりをにぎり、それを噛み締めている。
母の日にでもおにぎりをにぎってあげようと思う。
突然にぎったら意味わかんないだろうから、この思いを添えて。
自分でおにぎりをにぎるようになったこと。
食べるたびに母のおにぎりを思い出すこと。
感謝の気持ちでいっぱいになったこと。
その気持ちをおにぎりににぎり入れたつもりであること。
世の中には多様なお母様がいらっしゃいますことでしょうが、恐らく物欲のないうちの母は喜んでくれると思う。
何よりも子の思いを汲み取ってくれると思う。
そういう母であることは僕がよく知っている。
僕は彼女の子供だから。
おしまい