お弁当を作るから朝に日記は書けないかもしれない
僕には妻がいる。
妻は1日2時間程度の簡単な内職をしてくれていて、余った時間で家のことをしてくれる。
僕のお弁当を作ってくれるし、洗濯・掃除もしてくれるし、夜帰ってきたらご飯を作って待っていてくれる。
要するに家事をしてくれる。
だから僕は好き勝手にできるのだ。
もちろん僕だって洗い物をしたり、休みの日だったら洗濯物を一緒に干したりもするが、大半は彼女が引き受けてくれている。
僕が遊び呆けることができるのは全て妻のお陰である。
有り難い。
しかし、このたび妻は仕事をすることになった。
朝は僕と一緒に出掛けるし、帰ってくるのも同じ時間だ。
そうなると条件は僕と妻で一緒である。
僕は考えた。
このままではいけないな、と。
そこでお弁当を作ってあげることにした。
今まで作ってもらっていたのだから、今度は僕が作ってあげるのである。
さて、これが朝に日記を書けなくなった理由である。
つまり朝が少し忙しい。
しかしまあまだわからない。
もっと早くに起きることもできるだろうし、お弁当を作るのにそもそも時間がそこまで掛からない可能性もある。
昨晩の内に用意しておくということもできるだろうし、場合によっては晩御飯の余り物という選択肢もあるだろう。
とにかく今までしたことのない生活だから、今後どうなっていくのかわからない、というのが実のところであり、今この段階であれこれ考えても仕方がないのかもしれない。
理想を語るならば、やっぱり朝に書きたい。
今は夜の9時を回ったところであるが、やっぱりなんだか頭がボーっとするような気がする。
すっきりしないというか、考えがまとまらない感覚がある。
そのボーっとさによって生まれるテンションもあるとは思うけれど、人様の目に触れる文章を書くのならやっぱり朝かしら。
今すでにもう何を書いてるのか自分でもよくわからない。
もうちょっとちゃんと自覚を持って書きたい。
でもこれで良い筈なのだ。
だって日記なのだから。
そう言い聞かせたはずなのだ。
クオリティへの意識はややもすると枷となるから。
自由でありたい。
この場所は僕の遊び場である。
でも遊ぶならやっぱり本気で遊びたいよね、ってことで、朝に書きたい。
しんどいかもしれないけれど、しんどいことを当たり前にすることが成長に繋がるのではないか。
なるほど、きっとそうに違いない。
その生活を当たり前にした1年後、僕は一体どうなっているのか。
そんなことを妄想しながら今日は床に就こう。
大変だ、ニヤニヤして眠れないかもしれない。
楽しみだな。
いったいどんn(zzz......
おしまい