土井義晴先生の「一汁一菜」という考えに感銘を受けて
グッモーニン。
朝に起き、お米を炊いた。
炊飯器には予約という画期的な機能があることはこんな僕でも知っているのだが、土井義晴先生の教えにならって起きてから炊くことにしたのだ。
そうして今炊いてる間にこの日記を書いている。
え?炊いてる時間に(お弁当の)おかずを作るのではないのか?だって?
おかずは当面ない。
というのも、僕の構想ではおにぎりを握ろうと思っているのだが、おかずの代わりにおにぎりの具材で工夫をしたいと考えているのだ。
その具材はいろいろなものを考えているが、何か美味しくて健康的なものを入れたい。
そしてお味噌汁を添える。
このお味噌汁は昨晩作ったものがそのまま流用され、沢山のお野菜がもりもりに入ることになっている。
これは土井義晴先生の「一汁一菜」という発想から着想を得ている。
それは一体どんなコンセプトのものかは是非彼の本を読んでみてほしいと思うのだが、簡単に言えば「頑張らなくたっていい。とにかく飯を作れ」ということになるだろうか。
最近の日本人の食事は多様過ぎる、かつ水準が高過ぎる、と。
それで食事を作るということのハードルが上がってしまっている。
お米とお味噌汁、あとは漬物かなんか一つ添えるだけで立派な食事である、それで良いではないか、というような主張だ。
え?そんな簡単なものを弁当とか言ってるの?奥さんかわいそう、と言う人もいる昨今だろうが、もちろん妻には了承を得ている。
というより、2人で「一汁一菜」の考え方に賛同していて、むしろ「それがいい」というのが2人の考え方だ。
それならば文句はあるまい。
……………
というところまで今朝書いたのだが、やはり書き切れず、後になって今書き足してるところである。
いや、そもそも日記に「書き切る」なんて概念はないのだろうから、限られた時間でサクッと書くだけでもいいのかもしれない。
あんまり毎日1000文字とか2000文字の文章を書いてもネタが尽きてしまうだろう(今のところその兆しはないが)。
小出しに、少しずつ少しずつじっくり考えるのもいいかもしれない。
ただ、推敲はしたいと思っている。
変な事を書いていたら恥ずかしいんだし、場合によってはあらぬ誤解を招くこともあるかもしれない。
となると難しいのかな。
でもちょっとやってみよう、朝のバタバタぶつ切り日記。
おしまい