幸せな今日と幸せな未来の実現の為に

「時間」という概念がない部族の幸福度は滅茶苦茶高い、という話を聞いたことがある。

「時間」がなければ「未来」を想像することもない。

自分が今何歳で、人間は何歳まで生きるので、自分の寿命はこれくらいだ、という計算もない。

先を見ないから先の心配がない。

今日を一生懸命生きて、明日また一生懸命生きる。

それだけで「生きる」ってことは実は幸せなことなのではないか、という風に思わせられる。

 

しかしながら、僕達はこの日本という国に生まれ、時間という概念に縛られている。

この縛りから逃れることはできない。

だから、そういう部族の感覚はずっと理解することはできないだろう。

 

でも僕は素敵なことだと思う。

年齢ってなんだろう。

年齢なんて計算がなければ、変に老いを気にすることもない。

どっちが上とかどっちが下とか気にする必要もない。

老後の心配もない。

何歳だからそろそろ結婚しなきゃとか、子供作らなきゃとか考える必要もない。

今日に集中して頑張れる、それはやっぱり幸せだろうなーと思うんだ。

 

もちろん様々な条件が揃わなければ成り立たないことだとも思う。

例えば現代社会から時間という概念をそのまま取っ払ってしまったら、「明日には明日の風が吹く」とか言ってパチンコに通うことも許されてしまう。

その未来は明るいか。

いや、未来は明るいかとか考えてる時点でもう時間に縛られてる証拠なんだけれども、一旦そういう揚げ足は取らないでおいて、実際問題明日を気にせず遊び呆けたらどうなるかと言ったら、大概良い方向には進まないだろう。

その日その日は確かに楽しいかもしれないが、その先に充実感が積み重なってるかと言ったら恐らくはない。

 

その時間概念のない部族というのがどういう生活をしているのか、詳細はわからないけれど、恐らく狩猟採集をして生活を営むような人達だと思う。

今日を生きるとは、今日の食料を調達することであり、余った時間で仲間達と談笑して日々を楽しむのだと思う。

要するに、堕落するようなものがない環境だからこそ、今日に集中しても問題ないのだろう。

 

それならば、両者の良いところをハイブリッドできないだろうか。

 

1.未来を気にせず今日に集中したい。

2.でも未来も良くなっていたらいいな。

 

この2つを無理なく成り立たせる。

それにはどうしたらいいだろうか。

 

仮説だが、先にまず未来を設定してみると良いのではないか。

例えばギターが上手になりたい。

じゃあ毎日ギターを弾けばいい、となる。

そこで「本当に弾けるようになるのかな」「弾けるようになったからって意味あるのかな」とか余計なことを考えるから人は挫折するのだと思う。

そういうものを一旦取っ払って、弾けるようになりたいという気持ちに素直になって毎日取り組んでみたらいい。

 

英語が話せるようになりたい、なら毎日勉強すればいい。

「翻訳機が発達してもう英語を話せることに意味はない」「こんな歳から勉強したってどうせ話せるようになんてならない」なんて考えない。

「話したい」という気持ちに素直になる。

 

こうしたい、ああしたい、こうなっていたい、ああなっていたい。

そういうような漠たる未来を想像する。

そうしたらその為に、明日を見ず今日を一生懸命に生きればいい。

そこからは未来を見ない。

 

まるで目的の方向を決めて潜水艦で移動するようなものである。

信じて水中を進むんだ。

どれくらい進んだかとか、方向は正しいかとかは一旦置いておこう。

もちろん反対方向に進んだら大変だけれど、少しのズレなんていうのは許容する。

ギターではなくベースに興味を持ったって良いし、英語ではなくフランス語に興味を持ったって良い。

その経験は自分だけのものである。

 

少なくとも一生懸命だったことは重なる。

 

そういうようなことを意識して今日をちょっと生きてみようかしら。

 

おしまい