10年ぶりに友達に会って思うこと
昨日は専門時代の友達のライブを見てきました。
多分10年ぶりくらいに会って喋ったと思うのですが、当時は別にそこまで仲良くしていたわけではない、というのが僕の認識です。
なんて言ったら彼は悲しむかもしれないけれど、それは僕が単純に人見知りだったからに他ならず、彼はそんな僕に対しても一生懸命話し掛けてくれて、そのおかげでなんとか成り立っていた関係性、というのが僕の正直な印象です。
あれから10年。
我ながら人との接し方が上手になったなーと自負しています。
決して「相対的に上手な方である」という風には言えないんだけれども、昔の僕を考えれば絶対値としては圧倒的にコミュニケーション能力が高くなったように感じています。
少し具体的な話をすると、高校生のときに友達と遊んでいたときに、友達の友達(つまり知らない人)に会ったことがありました。
その友達を通して僕もかろうじて会話に参加していたのですが、その友達の友達にとある質問されたのです。
「え、それって○○なの?」
みたいな感じだったと思いますが、それに対する僕の反応はこうです。
「……………。」
誇張はない。
本当に無反応になってしまいました。
記憶の内では、確かその質問になんて答えていいかわからなくて、そのまま思考停止してしまったのだったと記憶していますが、その時の相手の戸惑った反応は今でも鮮明に覚えております。
申し訳なかったなー(遠い目)。
専門学生になった時には、クラスに全然馴染めず、休み時間に学校の近くの公園のベンチに座って、独りたそがれていた時期もありました。
いわゆるぼっちです。
でもそんなぼっちにも関わろうとしてくれる人がいる。
なんともありがたい話です。
その内の一人が、昨日ライブを見に行った彼でしたね。
どんなに僕の反応が悪くたって、一生懸命声を掛けてくれる。
もちろんそういうのが鬱陶しいとか煩わしいとか感じる人もいるのだろうけれど、僕は引っ込み思案なだけであって、本当は誰かといたいタイプです。
だから凄くありがたかったです。
他にも沢山の人に支えられながら生きてきた僕ですが、そんな彼等の力を借りつつ、少しずつコミュニケーション能力を高めてきたのでした。
10年ぶりに会って、僕の変化に彼は驚いていたかもしれません。
当時からこれくらい話せたならば、今もうちょっと違った関係だったのかな、なんてそんなことにも思いを馳せます。
こうだったら、こうだったのかな、っていう考え方はいつでもどこでも及んでしまう。
別にそれが悪いことだとは思わないけれど(成長の証だと思うし)、先々で同じように後悔しないようにやっぱり今の内に頑張りたいな、などと改めて思うのでした。
かつてBUMP OF CHICKENの藤原さんは『宇宙飛行士への手紙』という曲でこう歌いました。
今もいつか過去になって取り戻せなくなるから
それが未来の今のうちにちゃんと取り戻しておきたいから
今が未来にとっての過去だから、今からやり直すのである。
そんな所存でございます。
おしまい