人生の頑張りどころと諦めどころの見極めって難しい
さてさて、明日からお仕事です。
長めに取らせていただいたお盆休みが今日で終わりです。
きっと多くの方がそういうようなスタイルでお休みを取ったと思うのですが、きっと憂鬱な気分になる人も多いことでしょう。
僕は今の仕事が苦ではなく、普段の通勤に憂鬱感を抱くことはまずほとんどないのですが、それでもやっぱり長い休みの後には少しのモヤッと感を抱きます。
「仕事」である以上、どうしたって少しだけだるい感情を抱かざるを得ません。
ともすれば、普段から「嫌だな」という気持ちをナチュラルに持っている方なんかは、休み明けはよっぽど憂鬱なんだろうな、と思いました。
休みの間にいろいろな友達とお話をしましたが、きっと僕は恵まれた環境に身を置いているんだろうなと思いました。
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そんなようなことを思いながら、そういえば子供の自殺が最も多い日は9月1日らしいしな、ということを思い出しました。
ちゃんとしたそういうデータがあるのかは定かではないですが、やっぱり休み明けはみんな憂鬱になるのだろうな、とその話を聞いたときは一人納得したものです。
僕達はやたらと頑張ることを強いられます。
「もうちょっと頑張ってみろよ」「ここで諦めたら今までの努力が水の泡だぞ」
確かに頑張るべき場面ってあるだろうけれど、本当の限界だってどこかにあるでしょう。
そしたらきっと逃げたっていいんだと思います。
じゃあどこまで頑張って、どこから逃げるべきなのか。
それは周りに判断することは難しく、自分で判断するほかないのだと思います。
でも本当に限界な人ってそういう判断を冷静にできない状態にあると思うし、そういう状態であったとしても周りには「自分は大丈夫」ということを平気で言ったりもするだろうから、総じてやっぱり難しいんだろうな。
前に友達が「仕事が辛い」って話をしていたときに、本当に辛そうだったから、「自分なら辞めちゃうな」ということを話しましたが、それが正しいリアクションだったかは今でもわかりません。
彼にとって頑張りどころだったのか、引き際だったのか。
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いろいろな偉人の話を聞いたりすると、辛い境遇だったからこそ秘められた才能が開花した、という話は珍しくありません。
極限状態にあれば、人はそれを打開しようと頑張るから、自ずと成長するのである、という話。
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」なんて言葉もあります。
『セッション』という映画では、鬼のような先生に罵倒され、辱められたからこそ、主人公はドラマーとしての才能を開花しました。
なにくそこなくそ。
誰しもが強くはないが、時として困難は誰にでも必要なのである、ってなもんでしょうか。
果たしてそれは乗り越えるべき困難なのか、はたまた逃げるべき困難なのか。
判断基準はきっと、その先に未来があるかどうか、なのでしょうね。
しかし、それがわかれば苦労はない、とも言えそうです。
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そういった意味でも本で学ぶのは意義のあることのように思います。
様々な人生経験を追体験して人生を学ぶ。
それが、右も左もわからない状態では、自分の人生がどうあるべきかだってわからない。
でも世界を知れば、もうちょい頑張ってみるか、とか、やっぱりこんなのおかしいよな、とか思えるのではなかろうか、なんて思います。
本には人生のヒントが詰まりまくりんぐです。
読書しよっか。
さて、明日からお仕事です。
行ってきましょう。
ノシ
おしまい