お餅をお餅という自覚を持ちモチモチにしてもっちり食べよう
昨日は実家に帰った。
実家に帰ってお餅を食べた。
お餅は美味しい。
でも喉に詰まらせると大変なのだから気を付けて食べなければならない。
いくつかのものは、死亡者が出ると販売中止になったりする。
あるいは形を変えたりして対応を余儀なくされる。
しかしお餅はそういうことはない。
毎年幾人もの方が命を落とされるが、お餅はお餅のままである
文化的なものだからだろうか。
美味しいからだろうか。
国民がそれを許容してるからだろうか。
かく言う僕もお餅を食べたい。
お餅の美味しさはその味にはないのか。
というのも、お餅がなければお米を食べたらいいじゃない、とはならないのは、お餅をお餅として食べたいからに他ならない。
つまるところあの食感が良いのであろう。
美味しさとは味だけのことではない。
僕はチーズが苦手だ。
どうしてかと言うと臭いからである。
でも焼かれたチーズは好きだ。
例えばピザとかグラタンのようなものは好きである。
しかしそれらだって臭いだろう。
でも好きなのである。
その理由はいまだにわからない。
そう考えると食とは奥深い。
そりゃあ奥深くなければこんなに料理人はいないわけなんだけれども、自分でその自覚を持つことは、料理の楽しみ方の幅を広げるために重要なことのように思う。
色々な感じ方があって、その違いがわかるようになると、食ってもっと面白いのかなと思う今日この頃なのであった。
さて、お餅を食べよう。
おしまい