歩いて旅してみたいお年頃
昨日は前の職場の人達と少しばかり遠くに遊びに行きました。
少しばかりの遠くと聞いてどれくらいの距離をイメージするものでしょうか。
わからないですが、車で片道90分程度の距離です。
人数は6人。
大きな車はなかったので、車2台で行ってきました。
実に楽しかったです。
楽しかったのですけれども、しかし少しばかり不完全燃焼感もある、というのが正直なところです。
というのも、僕達は片道90分、つまり往復で180分車を転がしました。
帰りには寄り道もしたので、トータル多分240分、つまり4時間くらいは移動時間になったと思います。
ということはその間、車2台で僕達は離れ離れの時間を過ごしましたから、せっかくのお遊びが4時間もの時間を共有できていない、ということになります。
これはやっぱり寂しいことだなーと感じました。
一人ひとりが貴重な時間を割いて、お休みを取ったりして参加したのにも関わらず、4時間も一緒に過ごせていない。
やっぱりなんだか勿体無い。
もちろん別れて移動することによる、その少人数間でのやり取りがまた面白かったりもするのだけれども、全体で思い出を共有できないのは旅としていかがなものか。
それこそ昨日は移動中に猿4匹と猪5匹を見掛けて、僕達の車は大いにはしゃいだものでしたが、向こうの車はまずその存在に気付いていなかったというのです。
これはつまりともすると思い出にズレが生じる。
本当なら一緒に動いて、一緒の景色を見て、一緒に感動したい。
それが旅の醍醐味ではなかろうか。
だから僕のお気持ちを表明するならば、僕はぶらり電車旅がしたかったのです。
車で行くのに比べてアドリブ力は下がるし、運賃だって掛かるけれども、だけれども、同じ乗り物に乗って、同じ景色を見て、同じように感動するにはそれが一番だろうと。
そしたら移動だって大事な思い出作りに早変わり、あら不思議。
つまるところ利便性が全てではない、とも言えます。
僕達の生活は便利に便利が重なって非常に便々に利しておりますけれども、不便の中の醍醐味に醍醐味が重なって非常に醍醐醍醐してた味のことっていっぱいあると思うのです(わけわからん)。
旅だって、歩いたら、そりゃあ疲れるけれども、歩いたら、行く先々全てが思い出です。
車だったら一直線に目的地、からの帰宅。
旅とはなんだろうか。
目的地にしか価値はないのだろうか。
そんなことはない。
でも車は急に止まれない。
車はまるで、点と点を繋いだ線での移動で。
歩いたらそれはまるで、点と点の重なりによって出来上がったぶっとい線です。
車○―――――――――――○ブーン
歩○○○○○○○○○○○○○○トコトコトコ
本当はそういうような旅がしたい。
でも僕の現状ではそれは難しい、というか、現代人にとってそれはあまり現実的ではない、というのが実際のところでしょう。
でも旅の醍醐味だって味わいたい。
ならば間を取って電車で移動なんてどうだろうか?という話になるでしょうか。
次の時にはきっとそんなようなものにしたいなーと、一人思うのでした。
おしまい