夏休みとは人生であるのか?(聞いた

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いやー夏休みですね。

僕の夏休みはもう少し先なんだけれど、子供達はみんな夏休みで、うきうきわくわくどきどきエンジョイライフ真っ盛りなんじゃないでしょうか。

 

しかしながら、夏休みと言えば宿題があると思います。

長い長い休みということもあってか、長期休みの中でも一番多くの宿題が出されるのが夏休みの常だと思うのですが、こいつを先に片付けるか、後になって片付けるかで、夏後半の緊迫感が違ってきます。

 

さっさと終わらせれば、後は解放感いっぱいの夏休みが待っている。

それはわかっている。

わかっているのに、ついつい遊んじゃう。

 

僕はもっぱら限界まで遊んで、遊びに遊んで、休みギリギリになってようやく重たい腰が持ち上がり、一気に終わらせるタイプでした。

まあ結構そういう人って多いんじゃないでしょうか。

 

でも最近とある本を読んでいて思ったんです。

「人生も長い夏休みみたいなもんだよな」って。

 

月並みな感想だけれど、僕が読んだ本というのは小説なんですが、その小説の登場人物は自分が生きられる年月が決まっています。

具体的なことを言うとネタバレになるのでここではタイトルすらも言わないつもりですが、ざっくり20代とか30代くらいまでしか生きられないような人が出てきます。

 

さて、その事実を知りながら生きるのと、知らないで生きるのとでどっちが幸せでしょうか。

どっちが幸せだと思いますか?

 

80くらいまでは生きると思っていたのに、20、30くらいで事切れるのと。

最初から20、30くらいまでしか生きられないのを知りながら生きるのと。

 

考えたことはおありでしょうか。

僕はなかった。

 

前者だったら未来に希望があるだろうけれど、事実を知ったとき絶望しそうだな。

後者だったらその時になっての絶望はないけれど、未来に対する希望もなさそうだな。

 

なんて、そんなようなことを考えていると、ふと思うのでした。

「でも80くらいまで生きたって結局一緒か」って。

 

短いか長いかの違いであって、僕達は生きている以上、生き物としての終わりが来ます。

「老いは病気」なんてことも昨今は言われるようになりましたが、今のところまだそれが現実的とは言えないようなので、ここでは終わりが来るものとします。

そしたら20だろうが30だろうが80だろうが、終われば一緒じゃないか、なんて思います。

そしたら人生の全うさに長さは関係ないんじゃないか、とも思うのです。

 

そもそも何をもって短いのか、長いのか。

人間が150まで生きるようになったら80は短かいと思いそうだし、平均寿命が30とかだったら40とかでも十分長いと言えそうです。

 

ともすると、長い短いは相対的なものだろうから、自分の中でその基準を設けたらいいんだと思います。

 

人それぞれ思うところはおありでしょうが、夏休みの宿題を限界ギリギリまで粘り引っ張って生きてきた僕は、80まで生きると思ってる以上は、ややもすると70くらいまではいつまでもどこまでもだらだらタイプになってしまうのではないか、なんて懸念を抱くのでした。

今からだって遅くない、もうちょっとなんかやれるんじゃないか、なんて思うのでした。

 

もちろん、生きていくことと、長期休みにおける宿題の意味は大きく違います。

それをそっくり比べるのはもちろん違うと思うけれど、でもなんとなくイメージは持てると思います。

 

生きてると、やってみたいことも、やっておきたいことも、いっぱいあると思います。

でもなんだか不思議とどれにも手を付けていない、なんて人もまた多いと思います。

 

人生は、夏休み同様、有限です。

ひと夏の思い出のような、人生の思い出を作っていきたいものですね。

 

なんて。

 

おしまい