ロマンチックな僕が本を買い集めたがる理由
こんばんは、僕です。
僕が本を買おうと思っているのにはいくつか理由があります。
前にも書きましたが、まず読み返すのに便利です。
そして並んでいるとインテリア的にも良いです。
そして子供ができたら本のある生活が当たり前になって、やっぱり良いです。
そしてもう一つ、今特に重要視していることがあります。
それは、その本の存在を確認することによってその内容に思いを馳せられる、という点です。
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というのも、誰にでも「そう言われればそんなこともあったかも」みたいな記憶っていっぱいあると思います。
つまり、きっかけによって思い出される記憶です。
今の今まで忘れていたけれど、地元の友達に会って、数年ぶりに話をすることによって中学生の頃の記憶が鮮明に蘇ってきた、なんて経験をしたことがある人は、一人や二人と言わず一億人くらいいるんじゃないでしょうか。
そんなようなものですから、本の内容だって同じだと思うんです。
その存在を忘れてしまったのでは、確かに記憶のどこかにその内容が収まっているのだとしても、それを取り出す機会がなくなってしまいます。
でもその本が家にあって、今日も元気におはよう僕の本達、ってなもんで本棚に目を通してみれば、その一つひとつの本を視覚的に確認することによって内容に思いを馳せられる、というわけです。
要するに、旧友にいつでも会いに行ける。
というかそこにいる、みたいなものになるわけです。
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BUMP OF CHICKENというバンドの『宇宙飛行士への手紙』という曲の歌詞の中で
「何回だって話をしよう 忘れないように教え合おう」
というフレーズが出てきます。
僕達は、大切な記憶も、そうではない記憶も、刻一刻と一つひとつ忘れていっているのだと思います。
「記憶はなくなってはいない、取り出せなくなるだけだ」という風に言う人もいます。
つまり、思い出はなくならないで次なる思い出が被さるだけなんだ、と。
そうやって取り出せなくなっていく、思い出せなくなっていく。
僕が今こうして文章を書くことによって、今この瞬間にもあなたの記憶に僕の言葉が残るようであるならば、きっとあなたの古い記憶がまた一つ埋まったのかもしれません。
そんなことを書いている僕も、今これを書いているという記憶によってまた一つ、大事な思い出が取り出せなくなっているのかもしれません。
思い出、もとい記憶というものがそうであるならば、きっと本の内容だってそうであろう、と。
そしたら、まるで友達に「お前あの時こんなこと言ったんだぜ」と言われるかのように、本の存在がその内容を暗に訴えかけてくると思うのです。
「君は私のお話を聞いてくれたね」
ああそうです、そうです。
僕はあなたのお話を聞いたことがある。
ってなもんです。
その相手は2000年も前の偉人かもしれない。
そうやって考えるとロマンがありますね。
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ともするならば、なるほど、自分にとって大事な本だけ残してもいいのかもしれませんね。
なんでもかんでも買うんじゃなくて、例えば図書館とかで本を借りてきて、気に入った本があったらそれを書店で買う、みたいなスタイル。
そういえば樹木希林さんは、本棚には100冊しか本を置かないようにしていたらしいですね。
どんなに気に入った本があっても、それを本棚に追加するのであれば、代わりに何かを手放す、そんなスタイル。
そうやってお気に入りの100冊に囲まれて生活していたんだそうな。
そういうのも、そうか、いいんだなあ。
おしまい