マクドナルドで考え事

マクドナルドに来ています。

ハンバーガーを単品で頼んだのですが、ハンバーガーはケチャップ抜きがお勧めです。

ケチャップがない分素材の味を楽しめます。

 

え?味が薄そうだって?

確かにそう感じる人もいると思いますが、一応マックのパティ(肉)には塩コショウが振りかけられていますので、むしろ塩コショウの味わいをしっかり感じたいんだこの野郎という人はケチャップ抜きの方がいいと思います。

僕はいつもそうしてる味わい野郎です。

 

ところで、マックのトレーにはいつも広告の紙が乗っかっていると思います。

期間限定でやってるバーガーの宣伝やマクドナルドとは一体どんなことをしている会社なのかなどの宣伝の紙です。

 

今僕の目の前にあるトレーには、どんな農家の方がレタスを作っているのか、というような内容の紙が乗っかっています。

そこには瑞々しいレタスの育ての親なる方が親子で写っていて、笑顔が爽やかで、親子共々レタスのように瑞々しい(どんな表現だ)。

 

そんな二人を見ていてふと思いました。

 

「世のおばあちゃんっていうのは、どうしてこうも元気いっぱいなんだろうなー」

 

もちろんそうではない方も中にはおられると思います。

残念ながらもう元気を失った方もいるだろうし、元より元気の感じられない方もいるでしょう。

けれども、「おばあちゃん」ないし「おばあさん」という存在を一般的に想像してみると、どうにも元気いっぱい溌剌おばあちゃんが目に浮かぶ。

若者全員孫のように扱い、訪ねてきた人に「これ食べるか?」と気さくに聞いてくるような、そして「いらない」と言っても「いいから」と無理矢理渡してくるような、そういう主張の強さも想像されます。

 

きっとそれは僕の祖母がそういうタイプだから、僕の中のイメージがよりそういうもので強く固められたという面もあるとは思うけれど、でも一般的にも決してそう遠くはないイメージを持っているのではないでしょうか。

 

果たしてはそれは「おばあちゃん」だからそうなのか、それともその時代に育てられた、つまり昭和で育った女性の方々がそういう風にお年を召したのか。

もし仮に前者であるならば、今マックでキャピキャピしてる彼女等も年老いたらそんな感じになるのだろうし、反対に後者ならばもっと違ったおばあちゃんになるということになる。

 

だからなんだってこともないんだけれども、もし育ち方で変わるなら、今僕はどうしたら将来イケオジになれるかな、という気は少しします。

彼女等はどんなおばあちゃんになるんだろうか。

 

生き方の蓄積がそこに現れるのならば、徳を積みたいものです。

 

おしまい