僕は大人だから
うちの猫はどういうわけか、食後に一番元気になる。
お腹一杯、エネルギー満タン、腹が減っては戦は出来ぬが満杯ならば百戦錬磨、とでも言えばいいでしょうか、ご飯を食べ終わると走り回ります。
ひとしきり走り回ると誰もいない部屋で「ニャオーン」と大きな声で鳴きだします。
理由は定かではありません。
僕がお腹一杯になったらひとまず落ち着くことになっています。
だって食べた物が出てきたら嫌だからです。
僕の生理現象の中で一番嫌いな現象は嘔吐です。
出来る限り生きてる間は内なるものは吐き出したくない。
全部留めて、消化して、栄養取って、残りはしっかり尻から出したいです。
その点うちの猫というのはいったいまたどうして、食後にはしゃぐ。
救いは吐き出さないことにありますが、いつもひやひやします。
しかしながら自分のことを振り返ると、ああ、小学校の給食のあとのお昼休みではしゃいでたわ、ということが思い出されます。
なるほど、ともすると、なにか、本来はそういう本能があって然るべきなのであろうか。
なるほど、ともすると、なにか、今は変に大人ぶって「食後はブレイクタイムだぜ」とか言ってるだけで、心の内を冷静に覗いて見ると遊びたい気持ちが溢れているとでも言うのだろうか。
冷静に興奮が溢れているというのだろうか。
んなバカな。
僕達は鬼ごっこで遊んでいたあの頃、それで満たされていたように思われます。
否、思いだけでなく、間違いなくそうだった。
その感覚はすっかり忘れてしまったけれど、やってないだけで、やったら面白いのかもしれません。
猫を見てるとそんな気持ちになってきます。
もし今ケードロをするとなったら、とっても戦略的にやるかもしれません。
戦略的にやるケードロなんて、子供のころに経験はありませんでしたから楽しめそうなものです。
でもそれは子供のころに感じていた純粋な楽しみとは違うのかもしれませんから、それを求めている以上やっぱり大人になったんだなということを今実感しています。
でも大人には大人の楽しみがある、なんて言ったらいやらしいニュアンスが含まれそうですが、でも、実際、ある。
大人になったからこそ頭を使うようになったからこそ楽しめる領域ってもんがあるとも思うわけでありそれはつまり動物には楽しめないものであるならば僕が人間として生まれたことを成すとでも言いましょうかそうやって人間の大人だからこそ楽しめることを楽しむからこそ人間として全うできるという風にも言えるわけでありつまるところ僕は立派に人間で立派に大人であるということが今ここで証明されたと言っても過言ではないのか?(聞いた
勢いで誤魔化しましたが、そんな気がします(どんな
つまりは、大人になったからこそ子供の楽しみがわからなくなったわけだけれど、子供には楽しめないことが大人になったからこそ楽しめる。
素敵やん?
楽しみに優劣なんてものは本来ないのかもしれませんが、ここでは便宜的に「子供」「大人」で分けておこうと思います。
大人になったからこそ知略的な、戦略的なものが楽しめるとは言えるけれど、子供にだってそれが楽しいと思う子はいますからね。
大人でも鬼ごっこ大好きな人もいるかもわかりません。
そういう話をし出したらなんにも例えられなくなるので、今はこんな感じで汲んでいただきたいと思います。
さて、明日は何曜日ですか。
金曜日ですか。
クリスマスイブですね。
いい子にしてましたか?
僕は悪い子だったのでサンタは来ません。
でもその悪い子ってサンタさんの主観ですよね?
アルミン的に言えばサンタさんにとっての良い子にプレゼントをあげるわけであり、僕から見たそんなサンタさんはとても良い子には見えない。
悪い子にもあげるからサンタさんは良い子になり、良い子のサンタさんは誰からプレゼントを貰うだろうか。
いや、もうその段階で良い子も悪い子もないんだから、サンタさんは良い子だけにプレゼントしてもいいことになり、そしたらやっぱりそんなサンタさんは誰かにプレゼントをもらうべきなんだから結局のところ誰でもみんなプレゼントをもらうべきだよなーなんてくだらないことを考えたところでお時間です。
今日もどうもありがとうございました。
明日書けばいい内容を不用意に書いちった。
そんな僕はお茶目でかわいい(ゲス顔)。
サリュー。
おしまい