AIの台頭領域は意外と広い

なんだかAIの話をし出して引きずっていますが、また一つ思ったことと言いますか、訂正的な話があったのでしておこうと思います。

 

AIに心はない、のだから、そこに哲学はない、のだから、人間は彼等が作ったものに深みを見ない、的な主張を前回しました。

昨日の段階では確かにそうであろうと思っていたのですが、自分なりに反芻して考えていると、そうでもないかもなーという気がしてきたのでした。

 

それは何故か。

僕達人間は「キャラクター」にだって愛着を持つものだと思ったからです。

漫画のキャラにも魅力を感じるし、映画のキャラにも魅力を感じる。

それは魅力のある人間が作り出すものだからこそ、またそこに魅力が生じるのであろうという仮説も立ちますが、しかしながらキャラクターというのはある程度デフォルメされていると思います。

つまり、ある程度は計算で作れてしまうのではないか、と。

もしそうであるならば、AIが「人間の好きなキャラクターってこういう見た目でこういう性格のキャラだよね」という答えに辿り着く可能性は十分にあるのではないか。

 

そうしたら、音楽を作る前にまずキャラ作りをして、そこにドラマを盛り込み、そのうえで音楽を作るかもしれない。

そうなったら僕達はもうその音楽に魅力を感じずにはいられなくなるのではあるまいか。

 

そういえば僕の母が、30年くらい使ってたテーブルを捨てるってなったときに「やっぱり思い出深いものだから」と結局捨てなかったことがあります(今も実家にある)。

僕達は生きていない物にも思いを宿すことは往々にしてあるわけで、勝手にドラマを作るものであって、それがもし動いて喋るものであればその思いの強さっていうのはきっとひとしおです。

そして彼等はそれを計算でやるかもしれない。

 

確かに天然ではないけれど、二次元のキャラに(一方的に)愛を誓う人がいることを考えると、天然か創作物かというのは関係がなさそうです。

そう考えるとAIの台頭領域は、僕が思ってた以上に広がるのかもしれない。

 

そんなようなことを考えたのでした。

 

おしまい