心の吐露り

楽しく文章を書くことは、よどみなく、自分の思いのままに筆を走らせることにあるように思う。

何を伝えようかとか、どんなことを書いたら意味があるかとか、そういうようなことを考えると途端に腰が重たくなる。

腰が重たいと、当然ながら文章は面白くない。

面白く書けない。

 

思ったことをつらつら書くのが面白いと思う。

 

しかしながら、そんな文章に意味があるのか、という疑問は残る。

こんなんでいいのかしら、なんて思う。

 

んだけれども、意味のあることだけを書くことが善というわけでもなかろうて、とも思ったりする。

そもそも意味のあるなしなんていうのは主観的なものなのだから、僕のこのなんの変哲もないどうしようもないほどの駄文がね、少なくとも僕がそう思うこんな駄文がね、もしかしたら誰かの心に刺さるかもしれない。

僕の心のポロリが誰かの心に響いて誰かが救われるかもしれない。

救われるなんて言ったら事が大きく感じられるけれど、なんにせよ、なんか感じてくれたらそれでよいように思う。

 

理路整然と、世の中のためになることをしっかり考えて発信するというのは確かに素晴らしいことだけれど、そんなことは一切考えず心の吐露をつづることだって誰かにとっては大事な言葉だったりするのではないだろうか。

誰かの悩みが誰かの励みのなる、なんてこともある。

その吐露はまたその本人の心を少し軽くするかもしれない。

そこに「共感します」なんていうコメントが付いたならば、ああ独りではないんだな、なんて自分も救われるかもしれない。

 

なるほどしかし、そんなのは傷の舐め合いなのかもしれない。

でも同じ境遇という仲間を持つことは大事なことのように思う。

もちろんそこから何か良い方に進むことができたら一番だと思うけれど、一旦独りじゃないことを知っても良いように思う。

心の逃げ場が必要な時だってあるだろうに。

 

そういう吐露も視野に入れていきたいなと思う。

 

おしまい