ディズニー映画『コルドロン』って知ってる?


『コルドロン』というディズニー映画を観ました。

この映画は、その昔「全部のディズニー映画を観てやろう」という無謀な挑戦をしたときに一度観たことがあったのですが、印象が薄く、間隔をあけずに他の作品も観てしまったので、結果僕の中で埋もれた作品でした。

でもなんか「全然面白くなかった」という非常に残念な気持ちだけは鈍く心に残っていたので、改めて観てみたのです。

なんというか、どんな風に面白くなかったんだっけなーと。

 

そしたらやっぱり、面白くなかったんですよね。

登場するキャラは誰一人として魅力はなく、主人公にいたっては生意気でちょっとウザくすらある。

そこから成長するキャラというのはわかるのだけれど、それにしては見せ場があまりにも少な過ぎて、印象を挽回するに至らない。

 

ラスボスは何やら世界を危機に陥れるほどに物凄く悪いやつらしいのですが、主人公が手を下すことなく勝手に死んで、世界は彼が現れたことに気付くこともなく平和になる(要するに日常のまま日常が続く)。

まあきっかけは主人公が作ったのだけれど。

カリスマ性は一切なく、いなくなって部下に喜ばれる姿は流石に不憫。

こんな上司にはなりたくないなーなんて、身を引き締める思いであります。

 

映画ってどこかのシーンで「ここが好き」っていうのが大体あるものだけれど、この映画に関してはちょっと思い付かない(いや、ラスボスが死ぬ流れはアホ過ぎて面白いけど)

例えば、主人公が魔法の剣なるものを手に入れて無双するシーンがあるのですが、それはあくまでも「魔法の剣」の力によってなのであり、決して主人公の力ではない。

にもかかわらず、彼はそれを「僕のおかげだ!」と威張ります。

あーやだやだ、なんて大人気ない僕は思うわけですが、もし仮にその後に彼が魔法の剣に頼らず、自分の力だけで敵と一生懸命に戦うシーンの一つでもあれば、心が打ち震える望みはあったかもわかりません。

でも悲しいかな、そんなシーンはない。

 

映画としてストーリーがまとまっていないのも気になります。

何々編何々編という風に、エピソード毎にまとめられたお話を無理矢理くっつけて映画にした印象があり、まるで映画を観てるというより地上波放送された短いお話をただ繋ぎ合わせたものを見せられているような印象がある。

つまるところ映画である必要はないように思う。

 

ちなみに『鬼滅の刃』の映画でも同様の印象を受けましたが、ここではその話は割愛します。

 

少し寂しく思うのは、この映画にもれっきとしたヒロインが登場します。

だけれども、彼女がプリンセスとしてもてはやされることは一生ないのでしょうね。

 

それは知名度ゆえか、それとも見てくれか。

この時代に見た目による差別はないだろうから、やっぱり知名度か。

それとも「エロウィー」という名前がいけないのか。

 

もし今度ディズニーランドに行くことがあったら、『コルドロン』に出てきた登場人物達を探してみようかと思います。

そして声を大にして名前を呼んであげようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エロウィー!こっち見てー!

 

 

 

まるで変態おじさんである。

 

違うのに。

 

おしまい