シンプルに生きる為にできること
最近、この情報過多の時代においてはむしろ情報を得ない方が幸せなこともあるのではないか、ということをよく考えます。
というのも、基本的に情報は減らず増える一方だからです。
例えばわかりやすく、映画だってゲームだって音楽だって増える一方です。
過去の作品はなくならないのに、新しいものはどんどん増える。
まるで、出された料理をまだ食べ終えてないのに、どんどん次の料理が運ばれてくるかのようです。
インターネットという波でサーフィンしているといろいろな情報に触れます。
へぇこんな映画もあるんだ、へぇこんなゲームもあるんだ。
そしたらあれもしたいし、これもしたい。
だけれども、時間はどうしたって有限なのだから、それらを消化する前にまた新しいものが登場する。
つまるところ、永遠に暇になることはないのでしょう。
忙しく遊び回る僕達は、その先の遊び道具にもう目移りしている。
そしてそれはつまり、時間が有限である限り、それらの中から選択しなければならない。
選択をするということh、何かを切り捨てるということです。
このゲームを選んだからあの映画が観れない。
あの映画を観たからこのゲームができない。
そうこうしてるうちにもう次のものが出ている。
ある種の不幸です。
あれもこれもあることを知りながら楽しめないのは、天秤に掲げられた2つのものの1つを捨てるかのようです。
どうせ捨てるなら持ちたくなんかはなかったのである。
そんな風に感じるのだから、だったら最初から情報を得なければいいと思うのです。
どうせ捨てることになるのがわかっているのなら、手に取らなければいい。
そしたら「捨てる」というのに意識を割く必要がなくなる。
問題なのは、その得ないという選択をした情報の中に、自分にとっての最高の作品があるかもしれない、ということです。
今あるこれが最高だと思っていたのに、そこにあるそれの方が実は最高かもしれない。
「無知は罪」とでも言えばいいでしょうか、あるいは「井の中の蛙」という概念にも通じるものがあるでしょうか。
でも得たら得たで「選択」が待っている。
難儀なものです。
おしまい