才能の見逃し方
確か『DEATH STRANDING』だったかと思います。
『DEATH STRANDING』というゲームを発表したときに、監督の小島秀夫さんがインタビューかなんかでこんなことを言っていました。
「昔から話を考えるのが好きだった。でも多分今の時代に生まれてたら楽しむことに集中しちゃって生み出すことをしなかったかも」
言葉は違うけれど、大体そんなような意味のことです。
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今はまるでバイキングのようであるなと思います。
所狭しと並べられた上質な料理を前に、僕達はただただ貪り食うことしかできないようなものであって、あえて自分がたどたどしくも料理を作る必要はないように思われる。
それが、料理の品がまだ潤沢ではなかったころは、じゃあ自分で作るか、という発想になったのだと思います。
もちろん今の時代にだって生み出す人はたくさんおります。
こんなにも魅力的なコンテンツを前に「こんな作品を自分も作ってみたい!」と目をキラキラ輝かせながら、一人夢を見る人はきっと少なくないでしょう。
でも思うは易く、実際に頑張れるかというとこれが結構難しい。
だって、魅力的なコンテンツはまた同時に誘惑的なコンテンツでもあるから。
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そうだ、絵を描こう。
そう思って家に帰ったはずなのに、気付いたらYouTubeを見て一夜を過ごした、なんて経験おありではないでしょうか。
ちなみに僕は結構ある。
本を読むはずだったのになー、ギターを弾くはずだったのになー。
流石に「一夜を過ごす」まではないけれど、さっき固めた意志はどこへやら、「ちょっとだけYouTube」と思ったのが間違いで、1本だけ見るつもりが気付いたら30本。
この時間で映画観れたよな、とひとりごちる。
僕達人間の本能をくすぐるようにできているそれらの誘惑に、所詮動物の僕達が抗うことはどうやら難しい。
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ともすると、失われた才能がきっといっぱいあるんだろうなと思います。
例えば僕が本当はギターの天才だったはずなのに、みんなが僕を誘惑してくるんです。
もちろん意思の弱い僕が一番悪いんですが、そうだ、君にも何か才能があったかもしれない。
なんにもない中で、一つギターがポツンと置かれている状況だったら、もちろん僕はギターを弾くんだけれど、実際はごちゃ混ぜの混沌の中にギターがまぎれているだけなのです。
これでは集中するのはなかなか難しい。
難しいんだけれど、でもやっぱりどうにか抗いたい。
そうして自分の才能を見出したい。
僕だけじゃなく、こんな世界で無事に子供の才能を伸ばせるのかしらと心配になる。
多分僕自身が生き方を見付けないといけないんだと思います。
でなきゃきっと誤魔化すことになる。
才能で、楽しみたい。
そんな風に思います。
おしまい