猫はギャンブルか

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人ってギャンブルが好きだと思います。

やらない人もいるし、ギャンブルにいい思い出がなくて毛嫌いしてる人もいるだろうけれど、人間の本能としてはそういうものに反応するようにできてると思います。

というより、そういう本能に合わせてギャンブルの仕組みはできている、という方が表現としては正しいでしょうか。

 

そういう本能が育った理由としては、人間がまだ狩猟採集をしていた古の頃、その反応が役立ったからだと言われています。

例えば背の高い木の上の方に木の実がなっているかもしれない、よし登ってみよう、と思ったとします。

この段階ではまだ木の実が実際なっているかはわかりません。

 

さあ登ってみた。

どうだろう、あるかな?

 

あった!

やった!

これでお腹を満たせるぞ!

 

この「やった!」という感覚がギャンブルで刺激される部分です。

要するに手に入れられるかどうかわからない状態で手に入れられた時、予定調和的に手に入るものよりも喜びが大きくなるようにできている。

 

予定調和、つまりいつでも手に入れられるものはいつでも手に入れられるのだから緊急性がないわけです。

そこに喜びは必要ない。

後回しでいい。

 

まずはあるかどうかわからないところに行ってみる。

あったら嬉しい儲けもの。

 

そしてその「やった!」を求めてまた木に登る。

足繁く通う。

 

昨今のスマホゲームなんかもガチャ機能が付いてると思いますが、あれも毎回当たるのではなくたまに当たるから僕達は「やった!」という気持ちを爆発させるわけです。

いつも当たるならいつも通りなので別段嬉しくもない、それが日常なのだから。

 

……………

そういうような本能が人間にはあるということを思い出しながら、ふと飼ってる猫を眺めていたら「猫もギャンブルみたいなもんだよな」と思いました。

飼ってる人ならよくわかると思いますが、甘えたり甘えなかったりするその様はまさに「気分屋」であり「気まぐれ」であり、彼等は決してこちらの思う通りには動いてくれない。

そういう生き物がふとした折に膝とかに乗ってゴロニャンコしてくるから、人は当たり前よりも嬉しく感じるのかもしれないなーと。

もちろんそれとはまた別に、純粋に自分のペットが愛おしいですとか、猫という生き物のみてくれがただただ可愛く思えるだとかいう感覚もあるだろうけれど、その上でギャンブル性みたいなものが上乗せされて人は猫の虜になるのではないだろうか、と思ったのでした。

 

まあ、違うかもしれないけど。

 

別に毎回乗ってくれたって僕は嬉しいのだ。

 

おしまい