完璧じゃなくたっていいが完璧を目指したっていい

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よく自己啓発系の本やメンタルケア的な本なんかに目を通すと「完璧を目指さなくてもいい」というようなことが書かれていると思います。

 

完璧になろうとするからあなたは苦しいのです。

完璧じゃなくたっていいんだから、あなたのペースで頑張りましょうね。

みたいな、そういうような意味合いで書かれているかと思います。

 

でも僕は少しこのうたい文句には懐疑的です。

というのも、完璧は目指すべきだと思うからです。

 

理想と言ってもいいと思いますが、こうありたいだとかああありたいだとか、そういうこうだのああだのという理想に向かって頑張るから人は成長するのではなかろうか、と思うのです。

そしてその理想に近付けば近付くほど、自己実現は成され、幸福を感じ得るのではないのかな、とも思っています。

だから完璧は目指したい。

 

……………

しかしながら、最終的には完璧じゃなくてもいいだろうとも思っています。

なんて、混乱する方もおられるかもしれませんが、つまり完璧は目指す、けれども完璧じゃなくてもいい、ということなのです。

いや、全然説明になってないか。

 

完璧を目指すということは「過程」ですが、完璧であるかどうかを判断するのは「結果」です。

その「過程」が大事だと思うのです。

むしろ「結果」はわりとどうでもいい。

 

完璧に近付けるよう人は努力をするのだけれど、結果的に完璧に届かなくてもいい。

そういった意味での「完璧じゃなくてもいいんだよ」には賛成です。

 

というか、人間に完璧は成せない。

その諦めは織り込み済みの考え方です。

 

でも目指すのです。

山の頂上には到達しなくてもいい、でも頂上は目指したい。

 

決して届かないんだけれど、登って振り返ってみれば、なんだか素晴らしい景色が広がっている。

ああここまで来て良かったなと思う。

それで十分なのではないでしょうか。

 

山はいっぱいありますから、あとは自分がどの山を登りたいかだと思います。

どの山も登らずに済む生き方もありますが、僕はできるだけいろいろ登ってみたいな、なんて思っています。

 

何個登れるかしら。

 

うーん、考えてる時間も勿体無い。

 

おしまい