子供がサンタさんを信じるということ
クリスマスですね。
いや、今日はイブでしたか。
昔、子供には是非サンタさんを信じてほしいと思っていました。
どれくらいまで信じてほしいかと言ったら、中学生くらいまでは信じてほしいなーなんて思っていました。
そんな夢のある子に育ってほしいなーと思ったのです。
ところが高校生のときに、知り合いのバンドのライブを見に行ったときです。
対バンでいわゆるギャルバンが出ていたのですが、MCで彼女達はこんなことを話していました。
「皆さん聞いてください!このベースの子、中学生までサンタさん信じてたんですよ!凄くないですか!」
「ちょっとやめてよー」
おぉ!僕が育てたいと思っていた子はここにいたのか!
しかし、なるほど、うん、やっぱり中学生まで信じさせるのはやめよう。
と人知れず僕は思い直しました。
なんというか、なんかちょっとやっぱり変な感じになっちゃうよな、と思ったのです。
中学生までそんな気付かないなんて、ちょっとなんか抜けてる感じも漂ってくるし、周りから小ばかにされるんじゃないかなんて懸念も抱く。
あんまり空想世界に飛んでいかれても困るんだし、適度に世界を知ってほしい。
かと言って、夢がなさ過ぎるのも勿体無いように思います。
子供というのはせっかく信じたいことを信じれる時期なのだから、その気持ちは大事にしてあげたい。
要するに、いい塩梅にしたい。
僕が『ジュラシック・パーク』を観て恐竜に憧れたあの日、本当に空き地から恐竜の骨が出てくるのではないかとワクワクしました。
でも出てこないんですね。
沼(?)に釣りに連れて行ったもらったあの日、沼のヌシのような大きな魚が泳いでいて、「あれを釣るとき竿が折れたら新しいの買ってくれる?」と親に切実に訴えたこともありました。
でも釣れないんですね。
『ドラゴンボールZ』で、孫悟飯がビーデルさんに「気」の使い方を教えてるシーンを見て、本気で気を練り込んだこともありました。
でも気なんて練られないんですよ。
そんな子供の淡い期待なんていうものはことごとく打ち砕かれるわけなんだけれども、サンタさんだけは本当に来てくれるのです。
本当にサンタさんはいて、僕が眠っている間に、何故だか僕が欲しい物を知っていて、それをソッと置いていってくれる。
あの25日の朝に感じていた夢のような感覚に勝るものはなく、最大瞬間風速的に言えば人生で一番の幸いを感じていたと言っても過言ではないでしょう(しかも毎年のように)。
いや、ディズニーランドに初めて行ったときも相当幸せだったか。
いや、でも瞬間的にはやはりサンタさんにはやや劣るでしょうか。
願ったことが叶う。
この経験は是非味わってほしいなーと僕は思うのです。
でも中学生くらいには少し大人びてほしいなんて思ったり。
要するに、結局子育てなんていうのは親のエゴでしょうか。
そうなんでしょうね。
働き掛けと手放しのバランスが難しそう。
明日はクリスマス。
子供達にとっては夢を見る日です。
ちなみに僕はお仕事です。
大人っていやーよ。
おしまい