今思う理想的な文章について

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昔の記事を振り返ったりすると酷く恥ずかしくなったりします。

それは内容が稚拙だったり、文章が下手くそに感じたり、いろいろです。

 

ただ、僕は確かにあの時「これでよし!」と思って投稿してたはずなのです。

何度も推敲を重ねて、誤字脱字はないことはもちろんのこと、これ以上にこの文章を面白くできるところはないだろう、と。

これ以上にわかりやすくすることはできないように思われるところまで、自分なりに詰めて書いていたつもりなのです。

 

ところが、こうして振り返って読んでみると、どういうわけか粗が見える。

これがなかなかに不思議な体験だったりします。

 

物凄くポジティブに考えれば、僕自身のレベルと言いますか、自分の文章力みたいなものが上がったことによって相対的に過去の自分がしょぼく見える、ということはあるかもしれません。

 

でも昨日の記事が恥ずかしく思えたりするのはどういうわけなのか。

1日で僕はレベルが上がったのかと言ったら、決してそんなことはない。

ということは、レベルとは関係のないところに感覚の違いがありそうです。

 

昨日は良しとしたものが今日には恥ずかしいのなら、今日良しとしたものが明日恥ずかしいこともあるでしょう。

じゃあ今日恥ずかしいことが明日は良しと思えることもあるかもしれません。

昨日は恥ずかしく、今日には良くて、明日また恥ずかしいなんてこともあるでしょう。

 

それなら「良し」ってなんだろう。

 

……………

どうしてそんな風に感じ方が変わるのか、僕には今のところそれは言語化できない、というよりその正体がよくわかってはいないのですが、踏まえた上で今自分なりに目指している文章は

 

「昨日だって今日だって、明日だって明後日だって良しと思える文章」

 

です。

そんな全ての感覚を包み込むほどの立派な文章が書きたいものです。

いつ振り返っても「上出来だ」と思えるほどの文章が書けるようになれたらいいなーと思いながら今書いています。

 

もちろん10年後とかに読んで「やっぱり10年前の頃から俺の文章は最高だな!」なんて自画自賛してるようでは、そこに成長は見られないような気がしますから、そんなことはないようにしたい。

けれど、少なくとも「10年前の精一杯を表現していたな」という風には微笑ましく思いたい。

恥ずかしくなく思いたい。

 

……………

どうしたらそんなようなものが書けるようになるでしょうか。

一生書けるようになんてならないのでしょうか。

 

もしかしたらそうかもしれない。

そうかもしれないけれど、僕は理想を目指していきたい。

 

そのためにできることはなんだろう。

まずひとえに考えられることは、いろいろな文章を読むことと、いろいろな文章を書くことでしょうか。

加えて、その他の分野の一流に触れて、自分の感性を養うこと。

 

例えば、僕は文章が好きと言いながら小説をほとんど読まないので、もう少し割合を増やしていこうと思っています。

って前にも書いたかもしれないけれど、実際今読むようにしています。

もっと面白い言葉とか表現が知りたい。

 

そしてそれを実際に使っていきたいですから、その表現の場の一つがここです。

もっと面白くなったらいいなーと思っています。

僕も、読んでる方も。

 

今はまだ全然その域には達していないと思うけれど、長い目で見守っていただけたらなと思います。

 

おしまい