お手紙で伝わったのは果たして内容だったのか
前回の話から、もう一つ考えたことがありました。
僕はA君とB君とで遊んだときに、二人の会話が気になって、帰ったあとにA君にお手紙を書いてあげたわけだけれど、果たして僕が言いたいことはA君にちゃんと伝わったのだろうか?
というと、なんとなく伝わっていないように感じられました。
もちろん漠然とは伝わったのかもしれませんが、ピンとは来てないかもしれない。
そんな印象を受けるお返事だったのです。
けれども、彼は心底「嬉しい」という気持ちを僕に吐露してくれました。
それがどれくらい満たされた気持ちであるかというのはわからないけれども、少なくともそのお手紙が来て嫌な気持ちになったという気配は感じられません。
……………
前回にも書いたとおり、僕はいよいよお手紙を送るとき、躊躇しました。
遊んだ日からすでに3日4日経っていたし、彼自身が話題を忘れている可能性すらある。
あのときは一つの話題として悩みを出したけれど、A君にとっては友達との話題づくりの為に軽くポンと出した程度の悩みだったかもしれない。
実際にはそこまで深刻には悩んでないんだから、こんな長文を貰ってもぶっちゃけ困る、なんて思われたらどうしよう。
なんて。
でも最終的には、「まあ鬱陶しがられたからってなんだってこともないか」「それよりA君が本気で悩んでる場合にあのとき何も声を掛けてあげられなかったことの方が問題だ」という考えに至り、ええいままよ、です。
……………
恐らくはその気持ちが伝わったのだろうと思います。
確かに内容としては、僕が言いたかったことは伝わっていないのかもしれない。
だけれども、僕がA君を思って書いた気持ちは多分伝わったんだと思います。
だから彼は「幸せだ」と言ってくれたのだと思います。
自分のことでこんなにいろいろ考えてくれて働き掛けてくれる友達を持てて幸せだ、と。
その対象が僕である以上こんな話は少し照れくさいと言いますか、手前味噌な気も若干するけれども、でも思う気持ちが伝わるのは、例えば「好きだ」なんていう言葉だけじゃないんだな、と思ったのです。
「僕にとって君は大切な友達だ」と言えば、その言葉の通りの気持ちが伝わるかもしれない。
「あなたが好き」と告白すれば、相手にはその好きという気持ちが伝わるかもしれない。
でも僕はそういうような言葉は選ばなかったわけだけれども、A君を思う気持ちはその文面に表れていたのだと思います。
内容がどれだけ頓珍漢であったとしても、的外れだったとしても、「考えてくれた」っていう事実だけで、彼は十分嬉しく思ってくれたのかもしれない。
杞憂だったな、と思いました。
様々な心配が。
もちろん僕が実際に考えて考えて、考えて書いたからこそ、その思いが文面に滲んでいたのであろうと思いますから、それが逆にテキトーに書かれたものであったならば、そのテキトーさがまた伝わったのかもしれないですね。
それはお手紙だけでなく、生き方全てに言えるのかもしれません。
なんて。
おしまい