僕の後輩が「早く年を取りたい」と言った理由
「僕、早く年取りたいんですよ」
かつてそんなことを言っていた後輩がいました。
誰しもが、子供を除いた誰しもが、できるだけ若くありたいと思い、年なんてのはできることならもうこれ以上取りたくないと思うものだと思うのですが、彼は早く年を取りたいと言う。
それは一体どういうことなのか、不思議に思った僕は尋ねてみました。
すると彼はこんなことを言っていたのです。
「楽しいことしてる時間って早く感じるじゃないですか。だから楽しいことをいっぱいして早く年を取りたいんです」
なるほどな、と。
彼の言う「早く年を取りたい」というのは、早いとこおじいさんになりたいということではなく、結果的に振り返ってみれば年の取り方が早かったなと感じたい、ということなのだと僕は解釈しました。
その考え方には素直に感銘を受けたのですが、しかしながら君、そんなことをしなくたって年を取れば取るほどにどんどんと時の流れは早く感じるものなんだよ、と先輩風を吹かせるのは一足先に年を取り進むワシじゃ(ブルブル)。
楽しい時間は確かにあっという間だけれど、楽しくない毎日を振り返ることだって、あのね、あっという間に感じるものなんだよ、と。
でも考え方自体は面白いなと思ったから、僕なりに発展させてみることにしてみました。
……………
まず大前提として、繰り返しになりますが、確かに楽しい時間はあっという間です。
そして退屈な時間はとっても長く感じると思います。
例えば退屈な授業の残り5分に時計の針を見てしまった日には、その5分はまるで無限のように感じますよね。
でも1日中ディズニーランドにいることは、もう気付いたら帰路です。
まるで夢でも見てたかのようにあっという間です。
でも過去を振り返ってみて「早かったか遅かったか」を感じるのは、思い出の濃密さのように僕は感じます。
例えば、昨日何をしたでしょうか。
一昨日は?
じゃあ一昨昨日は?
特に変わらぬ毎日を過ごしているというのなら、そこに思い出はないですから、まるで時間の過ぎ去り方は一瞬のようです。
反対に、毎日楽しい予定が詰まっていたらどうか。
昨日はあれをした。
一昨日はこんなことをした。
一昨昨日に至ってはあんなこともこんなこともしたってもんですわ。
ともなれば、振り返り方は濃密です。
前者は振り返りが一瞬で、後者は振り返りが濃密です。
……………
しかしながら、実際に時の流れ方を見るとどうでしょうか。
退屈な時間の進みは遅く、楽しい時間の進みは早いということは、僕の記憶が正しければ満場一致で同意されていたと思います(すっとぼけ)。
つまり両論を合わせて考えてみると、
「毎日が遅いのに、振り返ってみればあっという間な薄い思い出」
と
「毎日があっという間に過ぎていくのに、振り返ってみると濃密な思い出」
という構図が出来上がると思うのです。
遅いのに早い、早いのに遅い。
どっちがいいでしょうか、僕は後者だと思います。
……………
ただ、気を付けたいのは、昨今のインターネットな世界には、時間をあっという間に吸い取るくせに振り返ってみるとなんにも残らない、みたいなコンテンツが溢れていますから、その誘惑に抗うのは結構骨です。
ややもすると
「毎日があっという間に過ぎていくのに、振り返ってみてもあっという間な薄い思い出」
というどうしようもない人生になってしまうような気がします。
複雑で、定義は難しいですが、とりあえずインターネットに繋がらない物に触れれば、それだけおおむね時間はゆっくり進み行くように僕は感じます。
たまにはスマホをぶん投げて、自然を愛でに行くのも良いのではないでしょうか。
時計も持たず、ベンチに腰掛けて、気の向くままに呆けてみる。
誰がなんだとか、どれがなんだとか、知れ過ぎるこの世界は非常に面倒くさいですから、時には鼻を詰まんで戸外に出たい。
触って、嗅いで、見て、聞いて、自然の味を味わいたい。
こんな時代だからこそ、五感を大事にしていきたいなと僕は思います。
まあ
ブログで言っても説得力ないでしょうが(笑)。
おしまい