書いたことを忘れるくらいどうでもいい繰り返しと大事なことだからこそついつい書いちゃう繰り返し
一つ思い出としてブログを書くことは良いことであるな、ということを昨日の最後に書きましたが、少しだけ悩みがあります。
どんな悩みかというと、僕だって人間だもの、毎日のように書いていれば同じような話を繰り返し書いてしまう可能性がある、という悩みです。
わりとテキトーに思い付きのアドリブで書くものですから、基本練っていないわけです。
だから僕の文章は、まるで誰かとの会話を楽しむかのように一方的に言いたいことをばんばん書いていくスタイルで、場合によっては数分前に話した内容をまた話す可能性すらあるということになります。
まあ流石にまだ数分前の話を新鮮に繰り出すほどにとぼけたつもりはないですが、これが例えば数日前、数週間前、数ヶ月前となるとどんどん怪しくなっていきます。
多分「あれ?この人また同じ話してんな」って思われるタイミングって、まだなかったとしても、今後出てくると思うのです。
別にそれ自体が悪いことだとは思わないけれど、それが果たして僕にとって「思い出」になっているかというと甚だ怪しい。
できることならいろいろなことを考えて、いろいろなことを書き記しておきたいものだ、なんて思うのです。
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でも確かに大事な思いってものもあったりします。
いつもこんな風に考えていて、きっとそれは間違っていないように思えて、そうだ、ぜひみんなに聞いてもらおう!なんて思い立つようなことも、まあ一つや二つ、あったりなかったり。
そういうものは、あえて意識的に繰り返す場面も出てくると思うし、もちろん無意識的に繰り返すこともあると思います。
もし自ずとそうなるのならば、それはきっと僕にとって大事な譲れない部分と言えそうです。
逆説的だけれど、繰り返すのならば、そういうことなのでしょうね。
実際、僕はかつて書いていたブログを含めるとブログ歴は軽く10年以上になりますが、書いていると「あ、これ数年前にも書いたな」と気付くときがあります。
数年前に確立したその考えは、すっかり大人になった今も変わらず心にあるとも言えて、それだけ長きに渡って覆らない考えであるならば、それは僕なりの真理になっているのかもしれません。
そしてそれは、長く続けないと気付けないことなのかもしれません。
じゃあそういう思い出もあっていいのかもしれません。
優れた作品は、繰り返し楽しみたくなる。
端くれとして、そんな内容のものを書けるようになりたいものですね。
おしまい