短く濃密な時間を使って自分を大きく変えたい
昨日は6分間という非常に短い時間制限付きで限界ギリギリまで頑張って書いたのですが、やっぱり時間という概念に人間が抗うことは難しく、お話しの途中でぶつ切りしてしまいました。
別に毎日にこだわる必要もないのだろうけれど、せっかくだから頑張っていきたいなーと思います。
どこかで途切れたら良い緊張の糸も切れてしまいそう。
というわけで、前回の話の続きと言いますか、「時間」というものについて改めて考えていこうかなと思います。
僕がまだ小学生だった頃、お正月だとかお盆だとか、ご多分に漏れずじいちゃんばあちゃんの家に連れて行かれました。
車で1時間弱くらいの距離なので、まあわざわざ県外に行くような人と比べたら近いものでしょうが、子供の僕にとってはこれだけでもとにかく苦痛だったことをよく覚えています。
車の中でジッとして1時間、暇で暇でしょうがない。
家族でお出掛けするときなんかは、目的地まで何分で着くか、ということを母によく訪ねていました。
当時はすまーとふぉんなんていう便利なものがありませんでしたから、当然「何分で着くか」なんていうのは皆目検討もつきません。
よく赴く場所ならわからないでもないでしょうが、我が家の「家族でお出掛け」は大概行ったことのない場所だったので、母も僕の質問には大変困っていたことでしょう。
それでも面倒臭がらず、大体の時間を提示してくれた母は本当に優しいのだろうなーと大人になった今は思います。
我が家にはゲームのプレイ時間に制限がありました。
1回30分プレイを3回まで、と決められていた時期が特に僕の記憶に残っています。
さて、大人になった僕達で今想像してみてほしいのですが、1回30分のゲームで一体何ができるでしょうか。
なんにもできない、という印象を抱いても不思議ではないでしょう。
もちろん当時のゲームと今のゲームではボリュームが全く違いますし、アクションゲームをやるのかRPGをやるのかでもまた印象は変わるかと思います。
いずれにせよ、当時の僕はそのなけなしの30分で割と満足していたように思います。
名残惜しさはあれど、30分でも十分やってやった感があったものでした。
などなどのエピソードから要約すると、当時の20分30分は確かに「長い」時間であり、それだけの時間があれば十分に遊べるし、ジッとしていろと言われたら途方もないほどの時間に感じられていました。
授業中、残り時間10分で時計を見てしまったあの日、その10分は永遠かのように長く感じたことをよく覚えています。
それが大人になった今、10分なんていうのはもうほんの一瞬の出来事のように感じるし、ゲームだって1時間、いや2時間でも全然短い。
だから、10分20分程度の隙間時間では「どうせあっという間だしなんにもやれないな」と感じてしまう自分がいます。
いやだなーと思います。
腐らずそういう隙間時間も、あの日あの時のように精一杯何かに取り組むことが出来たならば、もうちょっと僕も全うな大人に育つのではないかと思うのです。
濃密な時間の蓄積はきっと大きな変化を生む。
今からだって遅くはない、大事にしたい。
と常々思ってはいるのですが、腰は少し重たげです。
ついついスマホに手を伸ばし、だらだらと時間を過ごしてしまう。
いけない。
いやいけないってこともないのだろうけれど、少なくとも僕はそんな自分を変えたい。
でも気を張りすぎるのもいかがなものかとも思うので、自分なりのバランスを見付けたいなと思います。
楽しく無理なく濃密なのが一番です。
おしまい