古本で読んだからこそ気付いたこと
前にいつだかに、僕は新品派、ということを書いたと思います。
なんでも。
例えば本を買うようにしていますが、中古の物よりもどちらかというと新品がほしいんだ、というのがこれまでの僕の考えです。
だけれども、やっぱり中古って安いよね、ということも一緒に書きました。
実際に中古の本を買ってみたら、ああこんなにお値段違うものなのかと痛感した、という話です。
そんなもんだから、新品も良いけれど中古だって悪くない、なんなら金銭的に決して豊かとは言えない僕なんかは黙って中古を買ってた方がいいんじゃないか、とさえ思いました。
ところが、今日改めて古本を漁ってみたのです。
前に5冊買ったので今日だって5冊くらい買うことになること必至なのである、と思っていました。
でも今日は一冊も買わなかったんですね。
なんというか、あんまりビビッと来る本がなかったのです。
それで気付きました。
ああ中古って、欲しい本があるとは限らないんだな、って。
物凄く当たり前のことだけれど、不思議と考えには至らず、実際に体験してみて初めて気付く、そんなことってあるよな、ってまた思います。
……………
だども、前に買った5冊の中に『一日江戸人』っていう本があるんですけれども、僕この本好きなんですね。
好きだから普通に買っても良かったなーと後々思ったんですけれど、書店に行くと(新品が)プッシュがちに置かれているんです。
でも僕は中古で100円で買ったんですね。
なるほど、どこかで「古本は巡り合わせ」みたいな話を聞いたことがあったけれど、こういうことを言うのだなと思いました。
古本って確かにめぼしい本を見付けるのは難しいけれど、前々から読んでみたいと思っていた本がこそっと置かれているその様は、ときめきめいたものを感じます。
言っても『一日江戸人』は新品で600円くらいなので、決して高くはない。
だけれども、ほいほい買う方ではない僕にとって、本選びは慎重になります。
そんな中、まさか江戸の本なんて買ってる場合なのか、という気がしないでもなかったのです。
いや「江戸の本なんて」なんて書き方は語弊がありそうですが、でももっと知るべきことと言いますか、学ぶべきことがあるのかな、なんて無学な僕は思うわけです。
それが100円で売っていたものだから手軽に気軽に僕は手に取ったわけであって、そのおかげで一読して気に入ったのですから、巡り合わせって面白いなと思います。
もしあの時古本を買うという選択がなかったとしたら、今でも僕はその本を読んでいないわけですから、少なくとも向こうしばらくは江戸人の暮らしのことを知らないままに過ごすことになっていたと言えそうです。
……………
「いや、江戸の暮らしを知ったからってなんなのさ」
なんて思う人もいるかもしれません。
でも思いを馳せて、暮らしを想像すると、ああ江戸も悪くないな、と思うのです。
そうしたらどこかで自分の暮らしの中にも江戸人のような暮らし方、あるいはメンタリティを盛り込むことはできないかしら、なんて思うのです。
要するに生き方のヒントがそこにある。
そういう本が僕は好きです。
もちろん江戸の暮らしも良いことばかりではないでしょう。
大飢饉だってあったし、大火事だってあったし、野盗だなんだ、熊だなんだって危険がいっぱいだったと思います。
お湯も水道から出ないし、電気もない。
今僕が江戸に行ったら3日と持たず悲鳴を上げるとは思いますが、それでもたくましく彼等は生きていたことを考えるとなんのその、こんなにもぬるく豊かになった世界は素晴らしいと気付きます。
でもそれによって生まれた弊害もいっぱいあるだろうから、過去の暮らし・メンタリティにヒントを見て、良いと思ったところは、豊かにもどこか物足りない現代生活に盛り込む。
そしたらちょっとは気が楽になるのかなと思う。
……………
逸れましたが、そんなようなポジティブな気持ちに触れることができたのがその『一日江戸人』という本だったわけですけれども、それは大変良い機会に恵まれて僕の手に入った、という話でした。
ともすると、中古だって悪くない。
でもまあ、借りたっていいんだろうなー。
でも、置いておきたいんだなあ。
みつを
おしまい