子供を思い切って放っておくことの可能性
僕はゲームが好きでした。
幼稚園児くらいにゲームを始めて、ゲームの世界に憧れて、ゲームの音楽に魅了されて、ゲームのキャラクターに愛着を持って、ゲームをしていないときもゲームのことを考えていました。
ならばきっと、家庭の教育方針という規制がなければ、四六時中ずっとゲームをやっていたんだろうと思う。
と
長らく思っていたのですが、ここ最近は「そうではないんだろうな」と思うようになりました。
どうしてかというと、規制があったらこそ「もっともっと」という気持ちが溢れて、よりゲームにお近付きになりたいという願望が生まれたし、よりゲームのことを夢想するようになったのだと思うからです。
これがむしろ、「好きにやっていい」ということであったならば、さっさとゲーム1本終わらせて、その情熱は消えうせていたかもしれない。
もちろん「かもしれない」という域は出ないんだけれど、体感としてはきっとそうだったと思う。
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昔子育ての本をパラパラと読んでいたときに、「ギャングエイジ」という単語をしりました。
これは例えば子供の言葉使いが悪くなったり、友達に乱暴するようになったり、動物をいじめたりするようになったりするような、年齢的に子供が大人へと変化するときに現れる振る舞いのことです。
思えば僕も蟻の巣に水を流してみたり、蜘蛛が嫌いだったので「この世から蜘蛛を絶滅させよう!」とかかなりやばいこと考えたりもしてましたが、あれが僕にとってのギャングエイジだったんだろうなと今振り返っています(今は菩薩の如く温厚です)。
でもそうやって、自分の子供が他に対して悪いことをすると、親としてはどうしても止めたくなるんだけれども、実はギャングエイジって抑えつけてはいけないんだそうです。
むしろギャングエイジの頃に厳しくすると、大人になってそれがぶり返して素行が悪くなってしまう、と僕が読んだ本には書いてありました。
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僕はキノコが嫌いです。
子供の頃からずっと嫌いだったのですが、僕の母はそれを改善しようと思ってかどうかわからないけれど、ほぼ毎食キノコを何かしらの料理に混ぜ込んできました。
拷問かと思います。
でもそのかいあってか、一応食べられます。
食べられるんだけれども、今でもキノコは嫌いです。
できることなら一生食べたくない食べ物です。
つーか菌じゃん、っていつも思います。
さて、嫌いな食べ物にも似たような話があります。
子供の好き嫌いを無くそうと親はあれこれ考え、そして頑張るわけですが、無理に食べさせようとすると、子供はかえってずっとそれが嫌いになるんだそうです。
なるんだそうですっていうか、なるんです。
僕が良い例です。
むしろ放っておいた方が、大人になっていつかどこかのタイミングで食べたときに「あれ?意外と食べられるじゃん」とかなったりするわけです。
それが子供のうちに嫌々食べてた思い出が積み重なると、ずっと「嫌い」という印象が残るのです。
僕は一生キノコ嫌いのままでしょう。
ちなみにシメジとシイタケが特に苦手です。
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つまるところ子供、ひいては人間って、お酒やタバコのような依存性の高いものや、SNSをはじめとした人間の本能を刺激して少しでも意識を割こうとしてくるシステムを除いて言えば、放っておけば落ち着くところに落ち着くのだろうと思います。
無理にこうしてやろうとかああしてやろうとか、いろいろやればやるほどにおかしなことになっていく。
僕だってさっさとゲームをクリアさせてくれたなら、あんなにゲームに夢中にならなかったかもしれない。
もちろん自由にやらせることによって、もっと夢中になってしまう可能性はあるけれど、そしたらそれが僕の才能だと思います。
今プロゲーマーとして活躍してる人がいるように、僕もそうなってたかもしれない。
それだって悪くない。
でも体感としては飽きてたはず。
子供ってそうやって「楽しい」って気持ちと「飽きた」っていう気持ちに従って、自分の道を見付ける能力があるんじゃないかなーなんて思います。
その道を行く手助けをしてあげるのが大人の役目なのではなかろうか、なんて思います。
なんて、言うは易く行うは難し、でしょうね。
おしまい