「自然」に思いを馳せる
僕が物心付くころにはもう「自然が好き」という意識があったらしいことは前回書いたとおりですが、この「好き」って感情は一体いつからあるものなのでしょうか。
人間は生まれながらにして「好き」という性質を持っているのか、それとも生まれた後に外的要因によって「好き」ができるのか。
つまり僕の場合、最初から「自然が好き」という人間として生まれたのか、それとも小さき頃に自然溢れる世界に連れていかれたことによって、後天的に「好き」になったのか(ならされたと言ってもいい)。
もし後者ならば、僕は自然ではないもっと別の何かがどうしようもなく好きになった可能性があるということになります。
でも前者だとしたら、全てを投げ捨てでも自然溢れる環境に身を投じることが、僕にとっての幸せに繋がるのかもしれません。
いずれにせよ今の僕にその判断はできないけれど、少なくとも言えることは僕がとにかくはまあ「自然が好きだった」という事実です。
それが先天的なものなのか後天的なものなのかはとりあえず置いておいて、「好きだった」という事実がある。
ともすれば、その方向で子供の僕の興味を爆発させてくれたならば、僕は一体どんな野生っ子に育ったことでしょうか。
そんな世界線も見てみたい。
野山を駆け巡り、木々に登り、動植物のさえずりに耳を傾けて、自然にまみれて、星空の下大の字で眠る。
そんな風に育ててくれたなら、僕はもしかしたら探検家にでもなっていたかもしれない。
今頃マダガスカル辺りにいたかもしれない。
アマゾンに行ってたかもしれない。
エベレスト辺り目指してたかもしれない。
グレートバリアリーフで泳いでたかもしれない。
オーロラとか見に行ってたかもしれない。
今からはいずれも現実的ではないし、腰が重たい面もあるけれど、興味がないと言ったらやっぱりウソになる。
死ぬまでにウユニ塩湖を見てみたい。
テーブルマウンテンを空から一望したい。
モニュメントバレーでかくれんぼしたい。
グランドキャニオンで『猿の惑星』に思いを馳せたい。
フレデフォートドームで宇宙の驚異的パワーを感じたい。
メテオラに登ってみたい。
プリトヴィッツェ湖群で水浴びしたい。
ナイアガラの滝で恐怖におののきたい。
地球は丸いのに、その表面がぼこぼこしていて、ちっぽけな僕達にいろいろな形を見せてくれる。
そんな様相に思いを馳せるとまた自然が愛くるしくなります。
もちろん脅威もいっぱいだし、地震も最近多くて実際怖いですけれども、それも含めて自然の魅力と言えるでしょう。
怖いけど凄い。
凄いからこそ、昔の人達はそれらを「神の力」として崇めたわけですね。
雷とか凄いもんね。
科学的知識が全くなかったとしたら、空が暗くなって、稲妻が空から一瞬にして降ってきて、けたたましい音が地響きを伴って遠くまで鳴り響くその様は、まさに神の所業だと思うでしょうね。
ちなみに僕は実際、小学1年生の時に、山を裸足で駆け巡ったことがあります。
裸足が好きで、家に帰ったら靴下もすぐ脱いじゃう僕でしたから、そういう流れでだったと思うんですけれど、駆け巡った後「なんか足の裏がチクチクするな」と思ったら、やっぱり血が出てましたね。
それで「もうやめよう」と思いましたけれど、続けてたら足の裏がめちゃくちゃ頑丈になってたかもしれないよね。
ギターを弾く指も、繰り返し繰り返し痛め付けて頑強になるものですが、足の裏もそうなってたかもしれない。
それはそれで面白いよなーなんて思います。
オオカミに育てられたアマラとカマラはどうだったのかな。
まああれは信憑性が薄いらしいけれども。
不思議ですね。
おしまい