言葉をただ「言葉」として捉えるために

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同じ言葉でも、言われた相手に対する印象で、言葉の受け取り方というのも変わると思います。

例えば仮に同じことを言われたのでも、好きな人に言われたのと嫌いな人に言われたのとでは、全然印象が変わるでしょう。

 

「言い方」にも左右されます。

どれだけ好きな人でも乱暴に注意されたりしたら嫌だし、どれだけ嫌いな人でも丁寧に指摘されたら納得するかもしれない。

 

更にはこちらの「気分」にも左右されます。

機嫌が良いときは大体なんでもオッケー!ウェルカム!な状態という人がほとんどだと思うし、機嫌が悪いときはなんかもう全部がムカつく!ふぁっきゅー!な状態にもなるかもしれない。

 

ともすると、僕達は「言葉」だけに反応するわけではないのだと思います。

相手次第だし、伝え方次第だし、自分次第でもある。

そういう様々な条件が重なった上で、言葉に意味を自分なりに見出す。

 

言葉はただ「言葉」としてあるだけで。

 

そうやって考えてみると、せっかくの大事な言葉を聞き逃してることもあるのだろうし、大して大事でもないようなことをいつまでも心に残してることもあるのでしょう。

自分の人生観が変わるような言葉もあったかもしれない。

はたまた、誰かの心ない言葉がトラウマになっているかもしれない。

 

それらの判断をできる限り間違えないようにするためには、きっと自分の人間力を鍛えるほかないのだと思います。

人間力」だなんてどうにも抽象的な表現ですが、「器」ですとか、「教養」ですとか、それこそ「価値観」「世界観」「倫理観」みたいなもので考えてもらっても差し支えないでしょう。

そういうようなものを養うことで、言葉の理解力は深みを増すのではないでしょうか。

 

そのために人は学ぶのでしょうね。

 

おしまい。