お互いが「好み」を理解し合えたならば
これは単なる思い付きの話なんだけれど、ここんところいろいろな面において「平等」が叫ばれてると思います。
平等というか、カテゴリー分けするのは良くない!みたいな風潮とでも言いましょうか、みんな違ってみんな良いというような価値観です。
その是非はひとまず置いておいて、さっき思ったのは、芸術分野においても「みんな違ってみんな良い」みたいな雰囲気になるのかなーということでした。
例えばクラシック音楽は総じて芸術的である(とされている)ということで間違っていないと思うのだけれど、それと同じだけ世の中に溢れた音楽もまた誰かにとっては芸術なんだ!みたいな風になるのかなーと。
映画だってアカデミー賞だなんだって表彰されるけれども、それもある種の差別になっていくのでしょうか。
僕達人間にとって「良い」だとか「悪い」だとか、一体なんなのでしょう。
普遍的に持った人間特有の判別もあるであろうことは然ることながら、文化的なものもきっとあると思います。
どこかの国にとっては素敵なことも、どこかの国にとっては汚らわしいこともあるのでしょう。
どこからどこまでが普遍的で、どこからどこまでが文化的なものかはわからないけれど、各々が自分なりの価値観だったり世界観だったりをなるだけフラットに確立し、それを踏まえた上で「好み」をはっきり判断し、お互いがお互いのその「好み」を理解し合えたなら世界はもう少し優しくなるのかもしれませんね。
言うは易く、行うは難し。
ですね。
おしまい。