ノンフィクション映画って苦手だな
昨日、とあるノンフィクション映画を観て、改めて「ああ、ノンフィクションってやっぱりちょっと苦手かも」と思いました。
前々から薄々は思っていたのですが、より自分の好みの核心に近付いたような気がします。
どうして苦手なのかというと、恐らくは僕が「作り物のお話に慣れ過ぎた」というのが理由だと思います。
というのも、質の高い映画、もとい物語ほど、描写の細かいところまで無駄がないからです。
例えば、あのセリフはこっちのシーンの伏線に、はたまた、この人の表情はあの人との会話が伏線に、みたいな感じで、一見無駄に思われるようなものが全然無駄じゃなかったりするのです。
全てに意味がある、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、少なくとも芸術的に評価される映画ほどその傾向にあるように思います。
僕自身そういう期待があるからこそ、細かいところまでに目を行かせるし、耳を立てるし、頭をフル回転させます。
そしてその伏線が回収されることが気持ち良かったり、場合によっては感動に繋がるわけです。
一方、ノンフィクションというのは、基本的に史実を基にお話が作られます(題材だけ持ってくるものもありますが)。
だから、他の映画だったら「これ絶対伏線でしょ」となるような登場人物の会話や行動、設定だったりも、蓋を開けてみたら何も意味がなかったりもするわけです。
それは、ただそのままそれが事実だからです。
意味とかじゃない。
例えば『戦場のピアニスト』という、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人の迫害から、ユダヤ人ピアニストが命からがら逃げる、というノンフィクション映画があります。
これは題材にしたその人がピアニストだったから、必然主人公もピアニスト設定なわけですが、物語的にはピアニストである必要は全くないんです。
別に特徴のない普通のユダヤ人設定でも良かったんです。
一応終盤ピアノを弾くシーンがありますが、多分実際には弾いてないんだと思います(戦場だしね)。
「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、確かに部分的に見たらそういうことってたくさんあるでしょう。
作られたお話なんかよりもびっくりするような凄いことって、本当にいっぱいあるんだと思います。
でも部分的にはではなく、そういう完成された一つの物語として見たときに、やっぱり質の高い作られた物語ほど無駄がない事実はそうそうないと思うんです。
もしかしたら探せばあるのかもしれませんが、少なくとも僕は今のところまだ見たことも聞いたこともない。
だから、映画をどんな風に楽しむかということにもよるのですが、僕は映画をあくまでも「物語」として楽しみたい派なので、より完成された「作られた物語」の方が性に合ってるのだと思います。
ノンフィクションは、事実は事実として脚色もないまっさらなお話を、本とかで読みたいですね。
ちなみに誤解のないように言っておきますが、僕はノンフィクション映画の存在を否定したいわけではございません。
ノンフィクションはノンフィクションで、「こんな出来事があったんだよ」ということを一つの物語にし、映像化することによって、より多くの人に知ってもらうことができます。
それはノンフィクションだからこそ説得力があり、ノンフィクションだからこそ意味がある。
その意義はよくわかっているつもりです。
そして、そういう映画が評価されてることも重々知っています。
それこそ『戦場のピアニスト』は、アカデミー賞の7部門でノミネートされ、うち監督賞・脚色賞・主演男優賞で受賞してますからね。
『シンドラーのリスト』も『それでも夜は明ける』も『グリーンブック』も、評価されているものは他にもたくさんたくさんあります。
だから僕が「ノンフィクション苦手」というのは、本当に純粋な好みの問題です。
つまり好き嫌いの話、ですね。
次はそれを指針に選びたいと思います。
おしまい