うんこをする間もなく飯を食う
先日『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』という映画を観ました。
無学な僕には、ソール・ライターという方が世界的にどれほど有名であるかというのはわからないのですが、僕自身、趣味でデジカメを持ち歩くくらいには写真が好きなので、興味をそそられてこの映画を観たのでした。
その中で一番印象に残った言葉がこちらです。
「肝心なのは何を手に入れるかじゃなくて何を捨てるかなんだ」
なるほど、と思いました。
この言葉は、現代における「情報」に当てはまるような気がしました。
というのも、今の時代、情報(知識)がいつでもどこでも手に入ります。
それはご周知のとおり、インターネットに誰でも気軽にアクセスできるからです。
自分で調べる場合においてもいくらでも情報を得られるのは然ることながら、SNSなどの利用により、自分が意図しない情報も得ることもあるでしょう。
それだと退屈はしないので、良い時代とも言えます。
でも、確かに退屈はしないけれど、満足もしないのではないでしょうか。
情報を得ても得ても、それを取り尽すことは当然できません。
その情報を処理する時間を設ける間もなく、僕達はまた次の情報に触れます。
情報の上に情報を積み上げていく。
そうやって知識太りとも言えるような状態になっている人って、今の世の中少なくないと思うのです。
要するに、うんこをする間もなく飯を食うみたいな、そんな状態です。
僕達には、咀嚼して、消化して、排泄する余裕が必要なのではないでしょうか。
つまり、情報を得たらよくそれを噛み締めて、自分なりに解釈して、アウトプットする時間です。
そうすることによって理解が深まり、人間味という深みも出るのだと思います。
それにはソール・ライターさんの言うように「捨てる」という選択も必要だと思うのです。
それが、ここで言うところの「情報」です。
与えられたものをペチャクチャ食べ尽くすのではなく、捨てられるものは思い切って捨ててみる。
あるいははじめから目に入れない(SNSを開かない、とか)。
どっち道取り尽くすこともできないし、全てを楽しみ尽くすこともできないのならば、あえて情報を絞ってみる。
その少ない情報にだけ意識を集中して、全力で楽しむ。
その方がむやみやたらと情報に触れているよりも、ずっとずっと楽しい人生になるのではないか、という風に思ったのでした。
おしまい