ひとまず感情を大事にすることにしました
例えば誰かに傷付けられた時に、それが悪気もなければ、理屈で考えたら別に気にするほどのことでもない場合であれば、それは許してあげたいと思います。
いや、「許す」というあり方はおこがましく、もはや「気にしない」というスタンスでありたいものです。
でもそれは僕にとっては難しい場合も多くて、実際にはなんだかモヤモヤすることがあります。
確かに、きっと彼は本当に悪気があるわけではないのだろうと思うし、よくよく考えると自分も同じようなことを知らず知らずの内に誰かにやってることってあるんだろうなとも思う。
そう思えば人のことばかり言ってはいられないと思うし、じゃあ彼のしたことを気にするなんて自分のことを棚に上げてるようなものではないか。
そんな風に理屈では思う、そう確かに思えるのだけれども、にんげんだもの、やっぱりなんだかモヤモヤする。
モヤモヤするものはするのである。
そんな「こうありたい、でもそうあれない」と感じたときに、まだまだ自分も大した人間ではないな、なんて思ったりもします。
理想を掲げながら理想的であれない、しょせんはその程度の人間か、なんて。
けれども、そんな風に半ば悲観的に思っていたのですが、ふとしたときに
「これでいいのか」
と思うようになりました。
つまり、モヤモヤしたっていいじゃないか、と。
僕達は人間です。
喜怒哀楽という感情があって、様々な場面においてその感情をコロコロと変える生き物、いや、変えられる生き物です。
その感情を押し殺すかのように、理屈ばかりで生きるのは、むしろ人間的ではないように思ったのです。
感情は感情のままに正直に感じて、その上でどんな選択をするか、どんな態度を取るかというところに、その人の人間性と言いますか、人となりが表れるのだと思います。
つまり、その感情をそのまま吐き散らすのか。
それとも、その感情を踏まえた上で冷静な判断するのか。
感情を抱くことは前提としつつ、自分がどうあれるかということが大事なのだと思いました。
おしまい