暇なら「暇」を楽しめばいい
昨日「時間を大事に使って自分を変えたい」的な、我ながらなんとも志の高い(こっぱずかしい)話をしたと思うのですが、それとは相反する気持ちも持ち合わせています。
どんな気持ちかというと「焦らなくたっていい」です。
焦ってなんでもやろうとする必要はなく、なんなら隙間時間を「暇」で楽しむくらいの心の余裕を持ってもいいだろう、と。
例えば10分暇だからその10分でなんかしてやろう、ではなく、10分何もしないという選択肢もあると思うのです。
10分ぼけーとする。
ぼけーとして、なんかいろいろ思考を巡らせる。
景色を楽しむ。
道行く人を眺める。
物思いにふける。
そういうリラックスの仕方もあると思うのです。
それはつまり「10分使ってリラックスする」という一つの選択であり、解釈によっては「何かをしてる」という風にも言えると思うのですが、能動的に何かの行為をするものではなく、そういう時間があっても悪くはないでしょう。
個人的に最悪だなーと感じているのは、例えばスマホを見て、何を見るでもなくなんとなく情報を流してる状態です。
なんかないかなーと、得ているわけでもなく、感じるわけでもなく、考えるわけでもない時間を過ごしてしまった後は「一体何をしていたんだろうか」という後悔の念が強く残ります。
こんなことなら何もしない方がまだマシだったろう、と。
少なくともそれで脳が休まるだろうから。
確かホリエモンだったと思いますが、彼は「隙間時間を使って常に情報を得ろ」という立場だったと思います。
そういう生活をしてこの情報社会に慣れていかないと時代にどんどん置いていかれるぞ、と。
なるほど、一理ある。
一理あるが、時代に付いて行く必要はどれくらいあるだろうか、という疑問は残る。
もちろん彼のように会社を運営してるだとか、はたまたYouTuberやTikTokerみたいなのを目指してるだとか、そういう「時代に付いて行く必要がある人」は一部いるだろうけれど、一般層に言えることかは怪しいような気が個人的にはしています。
僕はむしろ人間として、ホモ・サピエンスという動物として少し立ち返るくらいの方が、ずっと幸せになれるのではないかと感じています。
繰り返しますが、隙間時間ができたからとスマホを見て世界の情報をいち早くゲットするのが大事な人もいるでしょう。
でも僕はその顔を上に向けて、雲に思いを馳せたい。
風が肌を撫でる感触を確かに感じてたい。
空気の匂いに酔いしれたい。
本来それで十分ではあるまいか。
とりわけインターネットは疲れるから、スマホの類は家に置いて外に出てみるのもいいでしょう。
僕達は実際、現実に生きている。
とは言え、もちろん情報だって大事だから、得る得ないのそのバランスを取ることが現代を生きていく上で課せられていることなのかなと思います。
ただ、ややもすると得て終わりがちだから、意識的に生きていかないと難しいかもしれないですね。
いつの世も生きることは難しい。
おしまい