時間を「消化する」のではなく、時間を「使う」生き方をしたい
最近、YouTubeを見過ぎてるなーとふと思って、控えていたのですが、今日はなんだかそういう気持ちがすっぽりと抜けて、YouTubeをダラダラと見ていました。
YouTubeって怖いです。
というより、インターネットって怖いです。
無限に情報があって、無限に興味が尽きないです。
一見、情報で満たされていることは素敵なことのように思うけれど、一転、情報の海で溺れている人は少なくないのではなかろうか、などと思います。
今日も見事に溺れたやつがここにも一人いるわけなんですが、その海を乗りこなせられるようになれるといいなーなどと夢見ています。
一歩足を踏み入れたら、たちまちのまれてしまう。
先日、とある本を読んでいたら、映画『タイタニック』や『アバター』で知られる、かの有名なジェームズ・キャメロン監督がおっしゃっていました。
「子供の頃SF小説を読みまくっていた」
「1日2,3冊のペースで読んでいた」
YouTubeでとある動画を見ていたら、メタルギアシリーズで知られる小島監督もおっしゃっていました。
「映画や小説なんかでインプットしまくってた」
「『デス・ストランディング』を作るにあたって1日2本映画を観たりした」
なるほど、やっぱり一流の何かを作るには、それだけいろいろなものを見聞きして、吸収することが大事になるのだな、ということがうかがえます。
だけれども、加えてこんな風にも言っていました。
「今の時代に生まれてたら作り手にはならなかったかもしれない」
確かに今の時代、娯楽に困ることはありません。
音楽も映画もサブスクの時代ですし、ゲームだってやり放題。
それらは決して減ることはなく、世界中で増え続けています。
あれもしたいこれもしたい、もっとしたいもっともっとしたい、なんて気持ちはあるけれど、その増え方は、とても消化しきれるペースではないことはご周知のことと思います。
ともすると、キャメロン監督や小島監督のように、何かを生み出すことに気持ちが移ることって、なかなかないのではないか、という風に思うのです。
娯楽を消化することに時間を費やしがちになるので、その娯楽(や芸術)を生み出す側に回るっていう発想がなくなるのではないか、という風に思うのです。
ましてやSNSも日常的になりましたし、若者を中心に、物思いにふける機会って全体的に減っているのではないでしょうか。
例えば、バスや電車を待つのにぼんやり考え事をする、とか。
ヒマだから散歩に出掛けてあれこれ考え事をする、とか。
そしてそれは、僕も例外ではない。
そんな風に思って、僕はSNSの時間を必要最低限にグッと減らして、YouTubeの利用もグッと減らそうと思ったのです。
そういう「時間を消化する」という行為をなるだけなくして、「時間を使う」ということを念頭に行動を選択しようと思い至ったのでした。
何を隠そう、そういう発想でブログを始めました。
そのはずだったのですが、冒頭の通りでございます。
一つYouTubeで動画を見ようものなら、次々に見てしまう。
別に見るべきものではないような動画も、なんとなく見てしまう。
それが面白くたって面白くなくたって、なんだか満たされない気持ちになって、次の動画を見てしまう。
ああダメだ、と思ってるのについつい見てしまう。
そうやって振り返った時間というのは、なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだ、という気持ちでいっぱいになります。
もちろんその中で偶発的な出合いっていうのもあるけれど、それが人生の何かを変えるほどに大きなものであるようにはとても思えないのです。
それよりも、本を読んだり、楽器を弾いたり、(据え置き)ゲームをしたり、映画を観たり、ブログを書いたりしていた方がずっとずっと有意義であろうと思うのです。
その有意義なものっていうのは人それぞれ違うだろうけれど、僕にとってはYouTubeで得られるものはそこまで大きなものではないであろうと、現状判断しています(のに見ちゃうから怖い)。
要するに、 「何か面白いことないかな」ではなく、「これをしたいな」という気概を持って生きていきたいなって、そんな話でした。
まあ何事も「使い方」次第なんですけれどもね。
おしまい