人が人の悪口を言いたくなる2つの理由

人が人の悪口を言いたくなるのには、2つの理由があるように思いました。

 

1つは、仲間がほしいから。

誰かの悪口を言ったとき、話した相手が共感してくれると、仲間を得た気持ちになります。

人にとって「共感」とは大事なもののようで、共感を得ることによって「やっぱり自分は間違っていない」という気持ちになるのではあるまいか、なんて思います。

要するに、共感によって心が満たされ、安心できるのだと思います。

 

そしてもう1つは、相対的に自分のランクが上がった感覚になれるから。

僕達人間は、どうも比べたがります。

一人一人違う種を持っているだけなはずなのに、どうしてこうも比べたがります。

 

例えば、学校の試験なんかは順位が付けられると思います。

学年で○人中○位ってな感じで。

だけれども、本当に大事なことって「自分が何点を取ったか」ってことだと思うんです。

学年で何位だったかじゃなくて、何点だったかだと思うんです。

 

なのに、仮に100点中80点を取ったとしても、平均点が84点だった場合、ダメだった気分になります。

でも100点中50点を取ったとしても、平均点が45点だったらば、なんだか大丈夫だった気分になります。

 

要するに、みんなができてると自分はダメな気分になるし、みんなができてないと自分も許される気分になると思うんですね。

自分がどうかじゃなくて、周りと比べてどうか。

 

だから、誰かの悪口を言ったり聞いたりすると、その人の評価というのは下がりますから、相対的になんだか「自分は大丈夫」という気分になるのだと思います。

その場の平均点が下がるのだと思います。

自分は努力せずとも順位が上がるという寸法です。

 

ぐへへ(ゲス顔)。

 

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だけれども、僕は極力悪口を言わないよう努めています。

「言わないよう努めている」ということは、「言わない」という選択をしているわけであり、本質的に「悪口を言いたくならない」ということではないということですから、「本当は悪口を言いたい(時もある)」という気持ちが見え隠れしているということになりますが、正直に言いましょう、そうです、時にはなにくそこんにゃろうって気持ちになることだってあります。

にんげんもの、僕にだって喜怒哀楽がございます。

ぷんすかぷんぷんってなもんで、そのエネルギーを発散したい時だってあるのです。

 

 だども、誰だって悪口なんて言われたくないと思います。

当たり前ですが、みんながハッピーだったらいいのになと思います。

でも悪口ではハッピーにはならないと思うんです。

 

そんなことよりも、みんなが一緒に盛り上がっていけるような、底が上がるような働きかけをするべきなのではなかろうか。

その方が世界はちょっぴりと幸せになるのではなかろうか、などと思うのです。

 

そんなことが僕にできるのかは果たしてわからないけれど、できる範囲で構わないから、努力だけはしていきたいな、なんて思うのでした。

 

おしまい