完璧にはなれないけれど完璧を求めて完璧に近付ける

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例えば、人間にとっての完璧な芸術があったとします。

みんなその「完璧な芸術」を求めて、音楽を作ったり、映画を作ったり、絵を描いたりしているとします。

 

実際に「完璧な芸術」というものがあるかはわからないけれど、みんなそんなようなものを追い求めて、自分なりの「完璧な芸術」を表現しようとしているのだと思います。

 

ともすると、なるほど、完璧な味噌汁もあるのかもしれないな、と思いました。

何をもって完璧か、というのは誰にも定義できないし、それぞれの中にある何かによって判断されるものではあると思いますが、いずれにせよ、そういう「芸術」の域に達した味噌汁もあるのかもしれない。

 

そう考えると、芸術的な味噌汁って一般大衆的にはあんまり美味しくないのかもしれません。

どれだけ「完璧な味噌汁」であっても、その完璧さ具合というのは一般大衆にはわからないのかもしれません。

えてして芸術的な絵やら映画やら音楽は、一般大衆にとってはちんぷんかんぷんであるように、ちんぷんかんぷんな味噌汁なのかもしれません。

 

それはもはや味噌汁と言えるのだろうか。

 

でも飲む人が飲めば、

「ああ、なんて素晴らしい味噌汁なんだろう」

ということがわかっちゃう。

 

「わたしはこの味噌汁を飲むために生まれてきたのかもしれない」

とか思っちゃう。

 

そうやって考えてみると、何事にも「完璧」という領域があるような気がします。

決して有限である我々人間には到達できない(作り出せない)領域であるとは思いますが、あるにはあるのかもしれません。

 

完璧な音楽。

完璧な映画。

完璧なゲーム。

完璧な絵。

完璧なラーメン。

完璧なパスタ。

完璧なパン。

完璧なビール。

完璧なコーラ。

完璧な水。

完璧な友達。

完璧な夫婦。

完璧な子育て。

などなどなど。

 

そんなような領域を「イデア」という風に言うのでしょうか。

 

でも結局は何が完璧かというのは、僕達人間には到達できないのはもちろんのこと、それを認識することもきっとできないのでしょう。

でもそれぞれ思う完璧さを追い求めて、皆さん日々努力しているのでしょうね。

 

完璧にはなれない。

でも完璧になる為に努力する。

だから完璧に近付ける。

 

そういう風にして生まれた作品に触れるのが僕は好きです。

もちろん僕なんかには到底理解できないようなものもあるけれども、理解できる範囲内で、僕の中にある(であろう)完璧により近い作品に出合ったときというのは、本当に胸打つものがあります。

なんというか「凄いものを見た」という気持ちでいっぱいになります。

 

そういう作品を通して、僕自身、何かにとっての完璧さを追い求めてみたいものです。

 

おしまい