小学3年生の時の日記を掘り出してみた
前回、僕の文章の原体験として「小学3年生の時に日記の宿題があった」という話をしましたが、今も現存するその日記(↑)を読み返してたら懐かしくって面白くなってきたので、今日はその日記をいくつか紹介しようと思います。
最初に表紙の解説しておくと、始まりは小学3年生でしたが、その後も何度か日記を再開させてみたタイミングがあって、その度に学年やら名前を書き足したのでした。
だから「大村」が3つ書いてありますが、上から3年生の時の「大村」、4年生の時の「大村」、5年生の時の「大村」、ということになりますね。
我ながら面白いこと考えますが、しかし汚い。
「初めての日記、及びプリントの全体像」
これが僕の人生で初めての日記です。
序盤何度か書き直した形跡があり、やはり何を書くか悩みながら書いていたようです。
この時、母は新聞配達をしていたのですが、まだ空も白んでないなか配達をしていたら、とある家の駐車場のチェーンに足を引っ掛けてしまったらしく、転んだ拍子に膝の骨を折ってしまったのでした。
ちなみに正確には「ギブス」ではなく「ギプス」ですね。
左の赤文字は先生のコメントですが、先生もあやふやなことが窺えます。
「宿題 連絡」の欄に描かれたものは多分メトロイドシリーズのマークのつもりです。
うろ覚えで全然正確じゃないけど。
何故そこにそれを描いたのかはわからない。
「ぼくの日じょう」
他愛のない日々。
安心の中続く毎日が当たり前だった。
「拙い文章力」
基本的に本を読んでこなかった僕は、とにかく文章が下手くそでした。
後々日記が楽しくなるわけですが、文章が好きなことと上手に書けるかどうかということはイコールではない。
下手だっていいじゃない まさし
「今日は気分じゃない」
時にはこんな日もある。
「日記に慣れてきた(らしい)」
先生のコメントが素敵ですね。
こうやって当時の生活が振り返られることは、本当に宝物だなーと思います、先生。
「限界突破」
イベントが楽しかったりすると書きたいことも多くって、枠内だけでは到底書き切れない時に、こんな風に飛び出しがちでした。
読みづらくてしょうがないが、気持ちが溢れている様子は窺えます。
「あまりにも汚くて」
この日も書きたいことが多かったようで、ぐるっと一周させて書いたのですが、あまりにも読みづらかったようで母が紙を追加してくれた日です。
それでもはみ出してます。
学べない僕。
「一番文字数が多かった日」
内容は他愛もなかったのだけれど、この日はなんだかいっぱい書きたかったようで、追加の紙が6枚ありました。
楽しかったのでしょうね。
「追加しないとこうなるんだから」
この日は合唱の発表会。
何故か追加の紙は用意されておらず、とにかく読みづらくてしょうがない。
この日のことはよく覚えていて、控室がめちゃくちゃ暑くて、おめかしした僕は慣れないワイシャツ(?)の第一ボタンがとにかく苦しくて、人生で初めて「倒れそう」と思った日でした。
「入いったら、すごくあったたかった」と書いてありますね。
前言撤回、少年よ、本を読め。
「長い旅路」
この日で100枚目。
200枚に向けて頑張って歩くらしい。
少年よ、インプットも大事だぞ。
「さようなら」
ここまで来ると「日記」として書いているというよりかは、先生との「対話」を楽しんでるような気がします。
でないと「さようなら」という単語はきっと出てこない。
それにしても筆圧で気持ちの強さを表せるのはアナログの強みですね。
絵画的なアプローチもできるのかもしれない。
ここの筆圧は弱いので作者の心のダメージを表している、みたいな。
なお需要があるかはわからない。
「子供の成長」
小学3年生の終わりかけ。
ついに日記とは呼べず、心の声をそのままに書いてるようで、あまりにも自由で、最初の頃の日記と比べると同じ人物が書いたとは思えないほどの成長(と言っていいものか)が窺えます。
僕は結果こうなったけど、他の同級生は最後まで日記だったのかしら。
今となっては知る由もない。
以上、大体こんなところでしょうか。
文字数にすると一日大体どれくらい書いたものか、特にカウントはしていないけれど、下手なりにもちゃんと毎日書いて偉いなーと思います。
日記を書くことの意義と言いますか、意味というのは人それぞれ抱く思いというのは違ってくるとは思いますが、やっぱりこうやってその日にあったことを振り返るだけでも自分にとっては大事な文章になるものだなとしみじみ感じています。
もうこんな風には書けないんだけれど、その良さみたいなものは改めて感じられて、酷く個人的なものではありましたが、良い振り返りになったと思います。
時折、読み返すことにします。
小学3年生の僕と対話をする為に。
それでは、さようなら。
おしまい