AIにはできない誰でもない自分を最大限生かすこと
AIが台頭してくるであろうこの時代に、人間は果たして何ができるのだろうなーという話を前回しました。
それについてもう一つ思ってることがあったので、忘れないうちに書いておこうと思います。
AIにできないこと、というか、考えられないことがあります。
それは「哲学」です。
厳密に哲学というものが何を指すのか、無学なもので僕自身はっきりとはわかっていないというのが正直なところなのですが、漠然としたイメージとして「君にとってそれは何か」という問いの答えになるのではないだろうか、という風に思います。
というのも、例えば君にとって音楽とは一体なんなんだい?と聞かれたときに、あなたはなんと答えるでしょうか。
色々な答えがあると思います。
単なる音として考えてる人もいれば、心を表すものと考える人もいるかもしれない。
なくてはならない存在に感じている人もいるだろうし、正直音楽なんて嫌いだなという人もいるかもしれない。
十人十色の答えが出てくるであろうこの問いに対して、恐らくAIは形式的な答えしかできないんだと思います。
それこそ「メロディとハーモニーとリズムの集合体」みたいな、ペーパーテストで求められるような答えしか出てこない。
そこに心はないのだから、どこかで学んだ答えしか出てこないわけです。
その学びを通して誰かと同じ言葉を繰り返すことはあるかもしれないけれど、自分なりに思うことではない。
でも僕達人間は思い思いの感じ方をします。
だから「私にとって音楽っていうのは本当に大切なもので、人生になくてはならないものなんだ」というアツい情熱を持ってる人もいるし、その心に胸打たれて共感する人がまたいる。
音楽に限らず、料理だってそうだし、勉強だってそうだし、読書だってそうだし、スポーツだってそうでしょう。
イチローにとって野球とは何であるか、というような問いに彼が答えたことがあるかはわからないけれど、恐らく彼なりの哲学がそこにはあるのだと思うし、そこにまた共感する人がいると思います。
反対に共感しない人もいて、その共感しない人にもまた共感する人、しない人っていうのがいるのでしょう。
僕達は人生経験を重ねて、色々なことを学んで、色々なことを考えて、色々な答えを導き出します。
それは誰かにとっては一見間違いのように感じられることもあるだろうけれど、その人が人生を踏まえた上で出した答えなのだから外野がとやかく言うことではないのでしょう。
もちろん実際それが間違ってることもあるのだろうし、誰かが正してやらねばならない場面っていうのもあるのだろうけれど、でもまあ間違うこともまた経験なのかなーなんて年寄りみたいなことを思ったり。
許容できるうちは見守るのも一つのスタンスでしょう。
話がそれましたか。
それましたね。
『進撃の巨人』のオニャンコポンというキャラが「いろんな奴がいた方が面白い」というセリフを言いますが、要するに、人間って、そうなんだと思います。
僕達には元来「個性」というものがありますから、それを伸ばすことが人間味を深めることに繋がるのだろうし、そしてそれがひいては、AIとはバッティングしない生き方になるのかな、ともまた思います。
誰でもない自分を最大限生かすこと。
それが僕の今のところの生き方の哲学になるだろうか。
難しいなー(遠い目)。
おしまい