僕達人間にとっての幸せとは何かを考えるために

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ところで、七夕でしたね。

七夕と言えば短冊にお願いを書いたりすると思うのですが、経験はおありでしょうか。

 

僕はあります。

丁度お片付けをしていたときに小学生の時に書いたものが出てきたのですが、そこには

「サッカーせんしゅになるように。」

と、どこか哲学的な文章を思わせるお願い事(?)が書かれていました。

 

ちなみに僕はサッカー選手になりたいと思ったことは一度もありません。

その短冊には、どうせ先生に「何か将来の夢とかないの?なんでもいいから書きなさい」とか言われて、思ってもないことを無理に書いただけなのです。

 

先生というのはどうも僕達子供達に「夢」というものを思い描かせたいようで、幼稚園のときにも書かされました。

その時も僕は特に将来の夢なんてものは持っていませんでしたから、当時好きだった『星のカービィ』のカービィと書こうとしました。

将来の夢が星のカービィって意味わからないと思うんですが、別に僕自身がカービィになりたかったわけではなくて、なんというか、カービィと一体になりたかったんだと思います。

僕がカービィで、カービィは僕であるような、そんな感じです。

意味わかんないですね。

ちなみに「カービィ」は、友達(幼稚園児)に「それは変だよ」と突っ込まれてやめて、「しょうぼうし」と書いたと記憶しています。

 

小学2年生のときにも書かされました。

そのときはなーんにも思い付かなかったので、父と野原ひろしを連想し「サラリーマン」と書きました。

それを持って帰って母に見せたら「夢のない子だね」と呆れ顔で言われたことを鮮明に覚えています。

ちなみに母の名誉の為に言っておきますが、後々そのエピソードを母自身に話したら覚えておらず「心無いこと言ってごめんね」と謝れました。

 

そんな僕も元気もりもり小学6年生になって、小学校卒業を迎えます。

卒業と言えば卒業アルバムですが、そこに将来の夢を書かされました。

そのときは「体操選手になってオリンピック金メダルを取る」と書きました。

一応習い事で1年間だけ体操をやっていたのでその名残りなんですが、お察しの通り微塵もそんなことは考えていませんでした。

 

……………

将来の夢とはなんでしょうか。

やりたいこと?

就きたい職業?

お嫁さん?

 

僕達人間はなぜ生きているのでしょうか。

何をするために生きているのでしょうか。

 

わからない。

わからないけど、一つだけ確かなことがあります。

 

僕達はみんな「幸せになりたい」と思ってるはずなんです。

どうなっていたいかって言ったら、幸せになっていたい。

まずそのてっぺんがあって、そこから「じゃあどうなっていたら幸せか」を考えるのが順番のような気がします。

 

先生の言うような「何したい?」ではなく。

 

……………

じゃあ人間にとって幸せとはなんでしょうか。

それがわかれば苦労はなく、みんな幸せになってるはずなんですが、でも少なくともわかっていることは

「幸せの定義は人それぞれ」

ということだと思います。

 

誰かにとっては幸せに見えるその状況も当事者にとっては不幸かもしれない。

誰かにとっては不幸に見えるその状況も当事者にとっては幸せかもしれない。

 

ともすると、僕達が考えるべきことっていうのは、自分なりの幸せの定義とはなんなのか、ということなのではないかと思います。

何をしていたら幸せなのだろうか。

どうしたら幸せになるのだろうか。

美味しいご飯を食べられたらそれで幸せなのか。

ゲームをしていたらそれで幸せなのか。

 

じゃあもう今幸せなのか。

最高にハッピーなのか。

 

客観的なことは誰にもどうにも言えないことで、その答えは自分の中にだけあるのだと思います。

その答えを自分なりに模索し、少しずつ答えに近付いていくことが、僕は「勉強」の意義だと思っています。

 

……………

義務教育、いや、義務に限らず高校も大学も、勉強と言えば何か専門的な方向へと進んでいく傾向が見られますが、それだけでは人生の学びとは言えないと思うのです。

僕達はもっと広く自由に学び行く必要があると思うのです。

そしてその営み自体が本来楽しいはずなのです。

 

しかしながら、子供にその選択はなかなかできない。

親やら先生やらの言うことを(ある程度)聞いてなくてはいけないので、大人達がそれを理解していないことにはなかなか導かれない。

 

でも僕達は大人です。

大人は自由に学ぶことができます。

僕達は、自分だけの幸せを模索することが許されている、と言えると思うのです。

 

じゃあどうやって模索しようか。

 

僕は「読書」が一番良いのではなかろうか、と思うわけです。

学校に行くお金も時間もないけれども、その必要もなく、優秀な先生方が、それも古今東西の先生方が、懇切丁寧に僕達のペースに合わせて講義してくれる。

こんなに素晴らしい環境が用意されているというのは、恵まれた時代だと思うのです。

 

それを生かすも殺すも自分次第。

だって大人だから。

 

おしまい