読書は読んだ本の冊数を気にしないこと
ところで前回、文化庁による読書に関する調査について書いたわけですが、僕としては読書することを推奨こそすれ、読む冊数に関してはどうでもいいと思っています。
どうでもいいというか、把握することに意味はないと思っています。
というのも、当たり前ですが、本にもいろいろあるからです。
ページ数が少なかったり、多かったり。
内容が簡単だったり、難しかったり。
文字が大きかったり、小さかったり。
あるいはこちら次第でもあります。
自分の読むスピードが遅かったり、速かったり。
読解力がなかったり、あったり。
知識がない分時間が掛かったり、知識がある分時間が掛からなかったり。
苦手分野だったり、得意分野だったり。
著者との相性が悪かったり、良かったり。
そういういろいろな要素を加味して考えると、月に読む本の冊数なんていうのはその月によって違うやろがい、というのが僕の感想です。
それに同じ本を読むこともありますし、ちょっと内容を確認するためにパラパラと読み返すことだってあります。
あるいは難し過ぎて挫折したりすることもあるし、つまらなくて読むのをやめることもあります。
そうなってくると、もう読んだ本の数なんてどうでもいいじゃないか、という気になってくるわけです。
……………
以前何かで「1か月に5冊以上本を読んでる人は数%しかいないから、それを超えるだけで上位数%に入れる!頑張ろう!」みたいな感じで息巻いてる人を見かけたことがありましたが、はて、読書をするとはなんでしょうか。
なんのために読書をするのでしょうか。
読書は冊数を競うものではなく、内容をいかに理解し、どれだけ思考を巡らせたかに価値があると思うのです。
ともすると、その全国上位何%とやらに入るために躍起になって乱読多読することよりも、月に1冊でいい、なんなら1冊読み切らなくたっていいからまずはじっくり丁寧に読んで(精読)、その内容を自分の血肉にすることに努めることが大事なのではないでしょうか。
何より数を気にしながら読むのは楽しくない。
例えば、本を100冊読んでなーんにも覚えていない人よりも、本を10冊しか読んでないけど内容を全部把握している人だったら、後者の方が有意義な読書ライフを送っていると言えると思うのです。
それに前者は100冊読んでなんにも覚えてないなら、1000冊読んでも多分なんにも覚えてない。
0はどんなに掛けても0ですからね。
でも後者は10冊じっくり読んで覚えているのならば、前者が1000冊読んでなんにも覚えていない間に、把握数は100冊に達します。
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それで良いと思うのです。
無理に読もうとしないで、自分なりのペースでじっくりゆっくりどっぷり読んだらいい。
急がないでいい。
新幹線に乗れば確かに目的地に着くのは早いけど、景色を楽しむ余裕がありません。
それが鈍行列車だったらば、確かに時間は掛かるけれど、途中途中の景色をじっくり味わうことができます。
たまには列車を下りてみて、道中の町々を見て回ってもいいかもしれない。
そういう鈍行列車スタイルな読書スタイルを確立したらいいんじゃないかな。
旅だと思って、のんびり行きましょう。
そしたら結果的に、経験としての数が(勝手に)積み重なるから。
おしまい