読書習慣が生み出す好循環
前回
「読書に期待されることとして『知識を得る』ということが一番に挙げられる」
というようなことを書きましたが、今回はこれについて少し深堀したいと思います。
まず、知識を得ることが何故重要か、ということについて特に疑いはないかと思います。
僕なりの解釈を簡単に言えば、世界を正しく認識し自分らしく生きていくため、ということになるでしょうか。
それは「『知識を得る』ということが一番に挙げられる」という中でも一番に重要なんですが、実はもう一つ大事なことがあります。
何かというと
「知識によって読書の理解が深まる」
ということです。
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どういうことかというと、本って何かの説明が多いと思います。
そしてその何かの説明をするとき、それにまつわる言葉が出てくると思います。
例えば、Aということについて説明するときにBという言葉が出てくる、というような構図です。
これはまた、Bの説明をするときにCが出てきたりもするし、Bの説明でAが出てくることもあるでしょう。
Cの説明をする上で、AとBが出てくることもあるかもしれないし、ABCをもってしてDの説明があるかもしれない。
要するに、知識は単体で存在するものではなく、全てがどこかしらに繋がりを持っており、ネットワーク状に存在しているわけです。
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ともすると、知識があればあるほど、その説明に対する理解が深まるということになります。
Aのことが知りたくてもBが知らなければそれは中途半端な知識になってしまいますが、BのこともCのことも理解した上でAのことを学べば、その知識は確かなものになる。
あるいはお互いがお互いを補い合えるということです。
それは豊臣秀吉にしてもそうだし、そこから徳川家康に繋がり、伊達政宗なんかも絡んでくる。
そんなような具合に、知識があればあるほどに何かを学ぶときの苦労が減っていく、ということになるわけですが、それはつまり「読書の理解が深まる」ということにもなるわけです。
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つまるところ
- 読書をすればするほど読書の理解が深まる
- 理解が良いから読書が楽しくなっていきどんどん読むようになる
- 更に知識が広がる
- 更に読書が捗る
という好循環が生まれます。
反対に
- 読書をしなければしないほど内容はちんぷんかんぷん
- 結果、読書の楽しみがわからない
- 一切本を読まなくなっていく
という悪循環もある。
そんな、読書の二極化がどんどん進んでいってるというのが、今の時代の流れなのかなと思います。
そしてその差は開く一方なのでしょう。
ぜひこのタイミングで、好循環に片足突っ込んでみてほしいと思います。
おしまい