僕達が「なんか生きづらいな」と思う理由

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僕達人間の身体は、数万年単位で変わっていないと言われています。

いわゆる「適応進化(退化)」が行われておらず、数万年前の生活環境に適応されたまま変わっちゃいないんだ、という話です。

 

どうして変わっていないのかと言うと、進化するにしろ退化するにしろ、その環境に適応するためにはその「環境」が変わってはいけないからです。

過酷な環境が何千何万年とずっとずっと長く続くからこそ、このままじゃダメだ、適応しなくちゃ、という生物的本能とでも言えばいいのでしょうか、そういうものによって生き物は少しずつその環境に適応してきたわけです。

例えば空を飛んでみたり、海に入ってみたり、海から出てみたり、皮膚の色を変えてみたり、首を長くしてみたり、鼻を長くしてみたり。

 

ところが、その数万年前のどこかしらから、僕達「人間」という生き物は自ら環境を変え続けてきました。

「衣」にしろ「食」にしろ「住」にしろ、環境に適応した身体を獲得することよりも、その環境そのものを変えちまおう!という発想に至ることができたわけです。

箱の形に収まることよりも、箱の形を変えてしまおう!という発想です。

 

そうすることによって、恐らくは生活というのはどんどんと楽になったし、危険から身を守ることもできるようになったし、どんどんと平均寿命も延びたわけだけれども、それと引き換えに進化も退化もしなくなった、というわけです。

それがそのまま今日に至り、僕達現代人がどれだけハイスペックな機械をいじるようになったとしても、この身体能力は数万年前に適応されたまま何も変わっていないんだ、というのが今のところの結論のようです。

 

さて、そこから何が言えるのかというと、多くのことに関して「しょうがない」と言い訳できることっていっぱいあると思います。

例えば「ダイエットしたいのについついお菓子を食べちゃう」なんて人は多いと思いますが、それは「しょうがない」のです。

だって、数万年前にダイエットなんて概念はないのですから。

食べ物にありつくこと自体が珍しく、だからこそ食べ物を見付けたらすぐに口に入れろ!という本能が僕達にはあるわけです。

ある種そういうがっつき本能を持ってる個体が生き延びて、僕達に至っており、逆に食べ物を見付けても必死にならない固体は生き延びれなかったのです。

 

だから、どれだけ意志の力で「もう絶対お菓子を食べないぞ」と覚悟を決めたとしても、本能が「いや、そこに食べ物があるのならすぐに食べるべきだ」と訴えかけてくる、というわけです。

 

そう考えると「じゃあダイエットなんて無理じゃん」と悲観的に思う人もいるかもしれないけれど、僕は楽観的で「じゃあお菓子を食べちゃうのはこの身体の本能のせいだったわけか」という風に思えました。

そういう本能を持っているのだとしたら、それを踏まえた上で対策を取ればいい。

例えばお菓子を見て「食べたい」という本能が呼び覚まされるのなら、極力お菓子を見ないようにすればいい、という判断ができます。

具体的には、スーパーやらコンビニに行くとついついお菓子を買っちゃうというのならそもそもお店に行かないですとか、行くのなら(必要なものを)まとめ買いして行く頻度を減らすですとか、お菓子屋さんの前を極力通らないですとか、いろいろ対策ができます。

 

つまり、自分の本能にあらがうのではなく、本能に合わせた対策を取ればいいというわけです。

それは数万年前からの人間の発想と一緒で、決まった箱に無理矢理本能を押し込めるのではなく、本能に合わせた箱をこっちが用意してあげる、という発想です。

 

もちろんそれでも難しい場面っていっぱいあると思うけれども、少し気は楽になるのではないでしょうか。

数万年前の僕達にとって、今が生きづらいことなんていっぱいあると思います。

仕事にしろ、プライベートにしろ。

こんな生活はしていなかったのですから、「なんか生きづらい」と思うこと自体に不思議はないでしょう。

 

そしてそこにこだわる必要もないと思います。

時にはテキトーだっていい。

本能を箱の形に合わせることに必死にならなくたっていい。

できることからゆっくり取り組めばいいんじゃないかな。

 

なんて、そんな風に思いました。

 

まさに、にんげんだもの

 

おしまい。