そんな罪な存在に

少し調子に乗って、誰かの為にということを考え過ぎたかもしれない。

その瞬間自分を見失うような気がする。

 

恐らく多分、しかしきっと、僕はその土俵にない。

自分という芯を持たず、信念という意味で「信」と言ってもいい、精神力という意味で「神」と言ってもいい、そういうようなものがないうちに周りのことばかりを気にし過ぎると、いつまで経っても信とか神の芯は太くならない。

 

仮に自ずと他人様に影響を及ぼすようなことがある場合、それはその太さがどんどんと太くなっていって、いつの間にか他人様の影響領域にうっかり立ち入ってしまったときに生じるものだと思う。

まるで木のように。

大木のように。

 

木は基本的に上に伸びる。

枝もちょいちょい横に生えるが、基本的には上に伸び、その太さは中心から外に向けて広がっていく。

それがいわゆる年輪である。

 

そんなようなもので、僕は年輪を重ねなければならない。

年輪を重ねず、枝ばっかり伸ばしてる場合じゃない。

枝を伸ばして他人様にちょっかいを出そうとしている。

そんなぺらっぺらな棒なんかじゃあせいぜいつつく程度しかできない。

 

年輪を重ねてぶっとくなって、それはまるでご神木のようになって、じわりじわりと侵食したい。

生きていればどうしたって誰かに影響を及ぼしてしまうような、そんな罪な存在。

 

とりわけ三兄弟の末っ子として育った僕は、人の顔色を窺いがちである。

 

もっともっと自分として生きていたいなーと思う。

 

そういう練習があるいは必要なのかもしれない。

 

おしまい