月に一つ集中して取り組むことのススメ

月に1つのことを集中してやる、という発想は、我ながら画期的な考え方だなーと感じています。

まあ以前から色々な人に語られている考え方だとは思いますが、自分で納得してその考えに行き着くという経験が大事なのではなかろうか、などとポジティブに思うことにしています。

 

どうして月一が良いと感じるのかというと、まず集中すればその知識ないし技術が身につくであろうということが容易に想像が付くからです。

どうして僕達はゲームをやるとレベル上げに勤しむのかと言えば、敵を倒せば確実にレベルが上がることがわかっているからです。

これがいつどのタイミングでレベルが上がるかわからない、ましてや本当に上がるのかすらわからない、という状態ではなかなか人はレベル上げ(の努力)なんてしないでしょう。

 

現実世界においても同じだと思います。

知識・技術が身につくであろうことが明確にわかっていれば頑張れる。

反対に身につくかわからないことには不安を覚え、どこかで投げ出してしまう。

そうやって多くの人がダイエットや筋トレ、英会話や楽器、その他諸々挫折していくのでしょう。

 

ただ、僕としては集中してやればなんでもできるだろうという自負があります。

自負というか、人間誰しもがそういう能力をある程度は持っているだろうと思うわけですが、しかしながら、ちゃんとやらないとダメだろうとも思います(一部天才を除いては)。

 

でもちゃんとやるということは、つまり集中してやるということになるわけですが、僕の場合いろいろやりたくなっちゃう、というのは今まで話してきたことなのでご周知のことと思います。

英語を学びたい、しかし楽器も弾きたい。

楽器も弾きたいが、しかし小説だって読みたいんだ。

僕があと100人くらいいたらいいのだけれど、どうにも僕は一人しかいない。

しかも時間は有限と来たものだから、なるほど、僕は全部を楽しめないのか、ということを常々感じて生きてきたと言っても過言ではない、という話も耳にタコができそうですね。

 

そして、それは果たして幸せか?というのがいくつか前の話でした。

 

それこそが一つのことに集中できない要因でもありました。

というのも、例えば「英語に集中しよう!」と一人決めたとします。

でも少しして過ぎるのです。

 

「いつまで集中しよう?」

「他にもいろいろやりたいことあるしなー」

 

そして散らして他のことをする。

そしてその他のこともまた他のことによって投げ出してしまう。

 

そうやって中途半端にあちこち手を出した結果が僕という人間なのですが、さてここで月一スタイルの良い点がもう一つ出てきます。

 

月に一つと決めることによって、自然と来月に期待が持てるのです。

今はあくまでも英語に集中してるわけだけど、来月にはまた別のことをするんだし、とにかく今は英語に集中すればいいんだ、という納得感・安心感が自分の中に生まれるわけです。

 

これはつまりどんな感情かと言えば、1ヶ月という人生を得た、というような感覚です。

僕は1ヶ月の命しかなくて、その1ヶ月で目の前のことに集中する。

別のことはまた次の命で頑張ればいい。

そんなようなメンタリティを獲得したのでした。

 

仮にあと60年くらい生きるとして、その60年同じことできますか?というと、多くの人はできないと思うのです。

僕もその覚悟はないわけですが、だからこそ迷いが生じるのです。

仮に一つに決めたところで、じゃあそれをいつまで続けるのか。

 

飽きるまで?

明日飽きるかもしれない。

 

死ぬまで?

そんなのは想像もできない。

 

1年だってちょっと長いんだなあ、と。

 

この方向に進もう!と覚悟を決めたとしても、その方向に目印がなければ途方もない。

レベル上げの話と一緒で、それでは迷いが生じる(自信がなくなると言ってもいい)。

 

だから僕は1ヶ月という目印を見据えたわけです。

その辺りに当たりをつけて歩いてみる。

着いたらきっとまた別の景色が広がっているだろうから、そこからまた目印を決める。

また進んで、また見当をつける。

 

そうやって歩いた道は僕だけの道です。

 

まだ初めの一歩程度ですが、面白そうだなーと感じています。

 

1年後の景色はどんなところでしょうか。

 

年甲斐もなく楽しみです。

 

このままでは興奮して、夜も眠れないかもしれません。

 

そしたら次の日に支障を来たして、せっかくの計画が(くかー...ZZZ)

 

おしまい