日記のつもりの文章

こんばんはにー。

前回コペルニクスが転回させたほどの画期的なアイデアを書いたところでしたが、せっかくなので日記的に書いてみようかと思います。

というのも、月に1つ取り組むことを決めて、1年後には12個のことに精通している状態になる、素敵やん?という話でしたが、ブログがその記録になればいいかなーという思いで筆を執っています。

だからもっと軽く書きたいなーなどと思います。

 

どうぞご勝手に、という感じでしょうか。

そうでしょうね。

 

とりあえず今月は「英語」を勉強することにしました。

前にも取り組んでみたことはあったのですが、例によって気を散らしてあっちこっち目移りしてしまったものですから、そのときは全然身に付きませんでした。

と言っても当時は中学レベルの問題すら解けないほど英語に関して無知だったものですから、いくらかマシにはなりましたが。

 

でもやっぱりもっとちゃんと理解したい。

なんなら洋画を字幕なしで観たい。

 

それはきっと難しいんでしょうね。

わかります。

わかりますけれどもね、思うのは自由だと思うんですね。

 

1ヶ月でどれくらいまで到達できるかはわからないけれど、わからないこそ取り組むのです。

そしたらなんか道が見えるかもしれない。

 

もう少し行ってみようかな、と思ったら、来月も英語の勉強を続けるかもしれない。

もちろん一旦止めるかもしれない。

それはまだわからないけれど、今はどっちでも良いと思っています。

それはその時の自分が決めることですからね。

 

でも思うに、何事も土台って大事でしょう。

例えば英語であるならば、英語を全く理解できない人にとってそれはまるで暗号みたいなものです。

でも少し理解できるようになれば、ニュースで海外の方が喋っているのを聴いて、そこで何か新たな発見があるかもしれない。

ウェブ上で英文を見付けて、そこで学べるかもしれない。

そうやって取っ掛かりとなる知識とでも言えばいいでしょうか、そういう土台をとりあえずでも作っておけば、日々の生活の中で学べることが多くなる。

 

音感を鍛えておけば、音楽を聴く度に思いを馳せられる。

地理を学んでおけば、ニュースで知る世界の出来事のイメージが鮮明になる。

全部そうでしょう。

 

そう考えると、1ヶ月でその土台を作って、後は毎日の中で学んでいくというのも良いのでしょう。

もちろん集中して学ぶよりは圧倒的に成長は遅いでしょうけれども、それで十分生活が充実してる気持ちになれるのならば、それは幸いです。

 

そういう幸いを増やしていきたいものです。

 

全然日記じゃなかったな。

 

まあ良しとしましょうか(勝手に)。

 

ではー。

 

おしまい